税理士 岸野康之 事務所のブログ 一覧
民間医療機関の世界(2)職制、役職など
1 医療職の役職と呼称
医療職の役職者の呼称は分かりやすく、公民の区別なく、医療機関全般で共通している場合が多い。
・院長 → これは法律上の管理者で、医師が就任する唯一無二の役職である。
・看護部長 → 文字通り看護部トップ。地域により総看護師長などと呼ばれることも。
・薬剤部長 → これも文字通り。薬剤部を「薬局」と呼ぶ場合は薬局長になる。
その他・・・
あとは医師なら副院長、各診療科の長である「科長」「医局長」など。
看護師なら看護師長や主任、チーフなど。
ほか、医療職ごとにセクションや役職が設定されることになる。
2 事務セクション
ところで、医療機関では「医療者以外」の人口比率は、まず病院では、だいたい10~25%といったところだろうか。
これは病院の性質や、「警備や給食などの外注度合い」などによって異なるから、幅がある。
規模が小さいクリニックだと、受付や医事職員などの事務系が、全職員の半分くらいを占めることも多い。
ともかく、小さいところで半分、大きいところになるほど事務職員比率は減っていく(感じ)。
いずれにしても、事務セクションというのは、医療機関では少数派になる。
ところが役職の呼称は、医療職よりも事務職の方が多様だ。
いや多様というより、医療機関によってバラバラというほうが、正しいかもしれない。
医事課、医事職員くらいは、だいたい統一的であるように思う。
しかし、財務課、経理課、総務課、庶務課、用度課、物品課、調達課、事務課、給与課、渉外、などなど、あるところも、ないところも、実にさまざまである。
3 事務長
そんな事務セクションの中で安定した呼称として、医療機関の世界には、「事務長」という言葉がある。
僕は、医療の世界に入った時にこの言葉を初めて聞いて、「へー、そういう言葉があるのか」と思った。
その後、事務長は医療の世界だけでなく、学校の事務局など公的なところでは結構使われる呼称である、ということが分かってきた。
一般的には、事務職の長は「事務長」と呼ばれる。
しかし事務長一つでも、「事務局長」「管理部長」「総務部長」など、呼称は様々なである。
例えば院長や看護部長であれば、「職制上の位置や役割」は明確に分かりやすい。
しかし、事務長と名がつく人が、「事務職の長」とは限らない。
理事長の奥さんの方が事務長より偉いとか、事務長の上に事務局長がいたり、事務長の上に「相談役」「専務理事」「顧問」などがいる場合もある。
事務長は単なる事務のとりまとめ役であり、その上で財務部長、総務部長がマネジメントしている場合もある。
事務長というと、あたかも「全ての事務を知っている」ように見えるが、事務長は一切事務をせず、他のスタッフの事務を統括する場合も多い。
それが効果的な場合もあるし、そうでない場合もある。
事務長というのは、医療機関の構造や風土で役割が変わる、とても一言で語れない仕事であると思う。
僕は、もちろん医療機関の全ての皆さんに貢献したいが。
その中でも同じ事務屋として、事務長の皆さんの辛さやジレンマがよく分かるから、特に事務長の応援団でありたい気持ちが強い。
そんな前提で、次回はこの「事務長」の存在にもう少し迫り、整理したいと思う。
岸野康之 拝(本日重量 85.8㎏(着衣) 2021年2月21日 89.3㎏(着衣))
民間医療機関の世界(1)同族経営が多い事情
理事長、副理事長、関連団体のトップ、社員、理事、などみんな同族という医療機関は多い。
そもそも、日本の民間医療制度そのものが、(僕の私見では)次のような部分から、同族経営を前提として成立していると見て取れる。
(1)社員制度
厚労省は医療法人に「非営利性」を徹底させたいので、近年、役員の責任と権限や利益背反の追及などを強化している。
医療法改正の都度に、理事や監事、理事会そして医療法上の提出書類などを通じ、ガバナンス整備を浸透させようとしてきている。
しかし、役員制度はいろいろ動かすのだが、「社員制度」にはほぼノータッチである。
平成28年度の医療法改正と併行して行われた社会福祉法改正では、ズタズタになる社福が出るほど、評議員、役員制度にメスを入れた。
しかし、医療法人制度では「同族社員による統治」という点には、一切触れないで改正を終えたのである。
(2)医師による経営を前提とした法律
医療法では、院長(管理者)が医師であることはもちろん、医療法人の理事長も原則は医師、とされている。
これには非医師理事長の規定や、医療法人以外の法人の理事長など、いくつか例外はあるが。
ともかく医師でなければ経営ができない法律である、ということは、「事業承継」のときの最大のキーになる。
普通の民間病院、クリニックであれば、簡単にどこかから継承者を連れてくることはできない。
医師の事業承継をマッチングさせる仕組みはあちこちにあるが、目先の条件は折り合っても、その場所で地域医療に身を捧げる医師を連れてくるのは、容易ではない。
そうなると、同族から医師を輩出するのが自然であり、手っ取り早く、一族の財産保全の面から見ても安心である。
そういう法律と開業医たちのマネジメントがあるから、厚労省がどれだけ「非営利性」を叫んでも、医療機関の同族経営は、簡単に揺らがない。
(3)社員と出資 ~制度設計の誤謬(かな)~
実は医療機関の経営陣も、誤って理解されている方が多いのが、この「社員と出資」という論点だ。
医療法人などを作った時は、たいてい、最高意思決定機関である社員総会の、構成員である社員が「出資する」。
ただ社員が3人いても、うち一人だけ出資している、ということも多く、その時点ですでに「社員=出資者」ではない。
そう、ここが株式会社と全く違う点だ。
会社では、株を持てば持つほど強い株主となり、株がなければ発言権はない。
しかし医療法人などでは、出資していなくても「社員は一人一票」持っているし、山ほど出資した社員もまた、一票しか持てない。
さて時が流れて、出資した社員に「相続」が発生し、医療経営とは無関係な人たちが出資を持つようになることもある。
そして「社員のだれも、出資を持っていない」という、おかしな状況が発生することがある。
それでも、社員が存在していれば、出資者がいなくても経営は成立してしまう。
ところが余談だが、国は決して一番最初から「社員と出資者は違う」前提で、制度設計したわけでないようだ。
例えば定款を読むと、「社員は・・・出資の払い戻しを請求できる」などと記載がある。
法形式の部分では、社員と出資者は一応イコールである、という前提で制度を作った節があるのだが、現実は合致していない。
経営権と財産権が分離されているが故に、安定が保てている面はあるが、逆に出資の買取請求など、不安定さをはらんでいる面もある。
僕は、そのように制度がねじれた原因は、医療法成立の昭和23年当時の制度設計と、医療機関の公的役割が注目されはじめた昭和40年頃の、政治介入にある気がしている。
これは特定医療法人制度の成立と併せて、別に書いてみたい論点だ。
(4)現・認定医療法人制度に見る「同族組織の容認」
相続税法をはじめとする国税の法律では、役員に占める親族の割合が「1/3以下か、否か」を、公益性の判定基準の一つとしている。
厚労省ではそれを準用、援用して社会医療法人、特定医療法人など各種医療法人制度の制度設計をしている。
だから親族役員が1/3を超えていると、社会医療法人や特定医療法人には、組織替えできない。
ところで6年前にスタートした「認定医療法人制度」は、出資の相続税問題を解決する決定版としてリリースされたが、大変不人気であった。
不人気の最たる理由は、上述の「役員に占める親族割合」を満たす必要がある点であった。
しかし、税法が「公益性ある団体には税を課さないよ」と言っているわけだから、そこは仕方ないのかと思うのだが・・・
国は、3年前の「認定医療法人制度・リニューアル」に際しては、この親族制限を撤廃したのである。
つまり同族経営で、その点で公益性とは程遠くても、税は免除できるようにするということになったのである。
この裏側で、国税庁、厚労省、医師会などの間でどんな綱引き、妥協があったのかは分からない。
しかし僕は、この件は国が「医療法人は同族経営が前提である」という公然の事実を、制度的に容認した瞬間であったと思っている。
ともあれ、民間医療機関は同族経営が多い。
医科大学であっても、オーナーは一族である場合が多い。
このことは平素の医療政策を考える上では、役人も我ら民間人も、常に脳裏に置いておくべき事項であると思う。
明日は、民間医療機関の「事務長」について確認してみたいと思う。
岸野康之 拝(本日重量 85.9㎏(着衣) 2021年2月21日 89.3㎏(着衣))
病院の事務局 (4)公共と民間の間にあるもの
さて、一昨日、昨日と公立病院の事務局を悩ます要素を、4つまで書いてきた。
今日は、最も大きい要素であり、かつ本質的、実務的なお話をしてみたいと思う。
5 民営化、法人化
(1)行財政改革の流れの中で
公務員になった方が、それ以外の何かになってしまうのは、恐ろしいことであるようだ。
会ってきた方々の多くは、全般的に、「民営化」「法人化」など、不安げに響くようである。
しかし、実際にある時期以降、我が国全体として「行財政改革」が着実に進んでいる。
まず、平成不況下で行財政改革が進み、医療界においては21世紀の小泉行革に前後して、「国立病院の立ち枯れ作戦」で始まった。
250近くあった国立病院の施設を統廃合して、委譲や廃止で150以下にしたのだ。
僕も昔から、委譲された元国立病院に関わる機会があり、最近も民営化した元国立病院で仕事をする機会があった。
そして国立病院の次は、やはり小泉行革の目玉「平成の市町村大合併」の旗印のもとで、「公立病院改革の時代」が始まった。
10年近くの間に、1000あった公立病院のうち20%以上が経営形態を変更したり、民間委譲されたりした。
この公立病院の動きについては、ここ数年は次の理由から、この辺りの大きな動きは少なくなってきているように思う。
(1)地方税収が比較的良好であったこと
(2)自治体の財政健全化基準が緩和されたこと
(3)真に脆弱な公立病院の改革は完了していること
しかし、地方を中心にコロナ不況が忍び寄る中で、また経営合理化の機運が高まっていくのでは、という気がしている。
(2)公共と民間の間で、息を吹き返す人たち
と、好きにいろいろ書いたが。
最後に書いた民営化などの話は、確か公務員の皆さんに忌避されやすいパートだ。
しかし、実は法人化や民営化の後の病院事務局には、本庁を離れて病院に残り、イキイキと働く人たちが、意外に多くいる。
僕もかつて事務局にいた顔見知りの職員さんが、法人化した病院に移動した後に、あまりに元気になっていて驚いたことがある。
またある公立病院では、いくら事務局が頑張っても業績が好転しなかったのだが。
「半分民営化」したところ、急に結果が出はじめて、それとともに事務局が明るいムードに大変貌していった。
単純に安定した公共の中にいた時より、「医療の質を上げる、業績を向上させる」という目的意識が、活力になっているようだ。
僕は、特に民営化論者というわけではない。
ただ、公務員の皆さんが、「議会」「行政ピラミッド」「市民の目」にがんじがらめにされて苦しむ姿を、たくさん見てきた。
公共の皆さんには、安定と引き5換えにはなるが、楽しい民間人の世界もあることを、教えて差し上げたくなることがある。
さて次回は、今度は民間病院の事務局について、書いてみようと思う。
岸野康之 拝(本日重量 85.4㎏(着衣) 2021年2月21日 89.3㎏(着衣))
病院の事務局 (3)公立病院 事務局に必要な「それなりのもの」
さて昨日は、公立病院で「赤字」に直面した事務局について書いたところで終えた。
今日は、その続きで。
4 業績を上げるのは医療職
というわけで、事務局(事務長)は赤字を解消しようと思うのだが、事務局自らが収益を生み出すことはできない。
当然、医療機関では、医師や看護師など医療職の働きが収益を生み、業績を上げるのである。
さて、そこまで分かったところで。
「どうしたら医療職の人たちに、業績を上げてもらうことができるのか。」
皆さん、この悩みに直面することとなる。
僕は、この悩みを持つ多くの事務職(事務長)たちと、長年一緒に仕事をしてきた。
そこで、アクションの動きができない人たちは、悩みに悩んで、ふさぎ込んでしまう。
しかし、そこでアクションして医療職に働きかけた人たちも、かなりの割合で「返り討ち」にあう。
なぜ、返り討ちなのか。
医師、看護師ほかプロ医療職の現場人たちは、医療行為の責任が問われる日々の中で、業績も意識しないといけないのである。
そんな彼らが、異動で来て「議員や上司に怒られたくない」のが見え見えの職員の願いなど、簡単に聞き入れるわけがない。
もし、資格があるプロの医療職たちに伝えたいことがあるのなら、こちらも「それなりのモノ」が必要だ。
僕自身も大した力はないなりに、一事務屋として、「それなりのモノ」の必要性を、日々痛感している。
「それなりのモノ」については、10年以上前の勤務時代に、日本経済新聞に寄稿した記事に書いたことがある。
以下、ご笑覧いただきたい。
そう、医師はじめ医療職の人たちというのは、要するに「専門家」だ。
医療機関というのは、実は、国家資格の有資格者である、専門家たちで形成された集団なのである。
その中では、専門的な蓄積がない人の言葉は、なかなか相手に響かない。
こちら側も、それなりの蓄積を持って対峙して、初めて受け入れ合えるものがある。
そういう意味では、たまたま病院にきた事務局の皆さんが、1、2年で成果を出せと言うには、ちょっと厳しい世界であるといえる。
というわけで、事務局がプロ医療職を使役して業績を上げるのは、本当に大変なことだ。
これが事務局を苦しめる、大きな一要素になっている。
と、残る一つは、また明日書きたいと思う。
(つい、各項目が長くなってしまって 汗)
岸野康之 拝(本日重量 84.3㎏(着衣) 2021年2月21日 89.3㎏(着衣))
病院の事務局 (2)公立病院 事務局の苦悩
僕は、数々の公立(都道府県・市町村立)病院にどっぷり入る中で、「何が事務局を苦しくさせるのか」を学んできた。
それは、だいたい次の5点に集約されるのでないか、と思うに至っている。
1 見下ろされる立場
地方に行けば行くほど、公務員そのものが地元の出世頭であり、地元ピラミッドの上層階級だ。
そして公務員は「年功序列」と呼ばれ、年齢や勤続年数で出世や給料が決まる、安定したピラミッド社会でもある。
ところが病院には、医師、看護師、薬剤師などを上位とした、通常の公務員社会と違う、異次元のピラミッドが存在する。
「医療資格のピラミッド社会」の中で、医療資格がない公務員である事務局員は、昨日までと逆の立場を味わうことになる。
医師たちに呼びつけられ、看護師たちに怒られ、市民(患者)の厳しい目線にさらされるという、想像しなかった展開に参ってしまう。
2 軽く見える責任
これまで、公立病院の組織改革に関わる中で、1,000人を超える医療職、事務職の人たちと、サシや少数でヒアリングを実施してきた。
その中で、多くの病院で医療職の皆さんが、口をそろえて次のように言う。
「医療行為の責任も業績の責任も、すべて自分(医療職)たちが負い、事務局は次の異動で帰るまで何もしない」
別に、人事異動に従って異動する事務局の皆さんが、何も悪いわけではない。
ただ、現場の医療人たちに「そう映ってしまう」ことが多いのは確かで、僕にもそう映ることは多い。
この意識や負担のギャップが、事務局にプレッシャーとしてのしかかってくるのである。
3 赤字は悪
役所というのは、一度決まった予算を適正に執行(キレイに使い切る)のが大切な社会だ。
役所の中では、黒字が善とか、赤字が悪とかいう考え方は、利益体質の民間人の発想だと考えられがちである。
予算不足になれば(怒られながら)補正予算を編成すれば済む、というところがあるし。
逆に予算が余ると、財政課や他部署から、見通しの甘さを指摘される社会でもある。
ところが病院というのは、公立病院でも民間病院でも「基本的に赤字は悪」で、一応収益性が問われる。
診療報酬を稼いでその中で経営してくれ、というごく当たり前の話なのだ。
が、これが公共の方々は慣れない。
しかも、黒字の公立病院など稀な存在で、たいてい赤字だ。
にも関わらず、知事や市長、議会などは病院の赤字を見ると、「事務局は何をしているのか!」と責め立てるのである。
そして事務局員たちは、「なぜ赤字か」の原因分析(言い訳)の書類を、山ほど作成することとなる。
その結果、次に・・・
と、残る2項目は時間の関係で、また明日書いてみることにしたい。
岸野康之 拝(本日重量 85.0㎏(着衣) 2021年2月21日 89.3㎏(着衣))
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(2021年5月16日)