税理士 岸野康之 事務所

医療機関専門
財務、経営、相続 アドバイザリー

税理士 岸野康之 事務所のブログ 一覧

閑話休題 ~ブログ、ほんの少しお休み~

忙しいときほど、いろいろ重なるもので。

最近はプライベートでちょっと忙しいことが出てきた、と思ったら。

 

個人申告の相談、開業医の税務、大手病院のコンサル・・・

5月後半から、急に様々な業務ご依頼やご相談が、増えてきた。

そのために、ただでさえ休みが少ない状況にあって、完全に時間が無くなってしまった。

しかも僕の最繁忙月は、毎年6月なので・・・

 

というわけで、タイムマネジメントの一環で、ブログとFacebookの更新をストップすることにした。

何気にブログとSNSで、一日2時間くらいは(あんなものでも)使っていたが、いまはその時間が惜しい。

この6月が無事に空けたら、また再開しようと思う。

そんなことで、(わずかな人数の)読者の皆様には寂しい思いをさせてしまう(?)が、しばし、ご容赦いただきたい。

 

 

業務体制も僕にしてはボチボチ広げてきたが、もう一段階、拡張していかないといけないかもしれない。

ただ、ここしばらくは、まずこの体制で皆様と走り切りたいと思う。

 

たまに「ブログ読んでます」と言われると嬉しいもので。

必ずこの業務集中の時期が明けたら、しっかり再開して、体制もさらに安定化させていく。

 

 

岸野康之 拝

医療コンサル(11)医療と福祉 人的構造

16年前に、通っている専門学校が近いという理由だけで、勤務を始めた会計事務所。

そこが医療専門の会計事務所だったのだが、医療を取扱っていると、自ずと「福祉」「介護」などが付随してくる。

だから今でも、「医療福祉がご専門ですよね?」と問われる機会が多いわけであるが。

 

今回は、医療福祉の人的構造について、触れてみようと思う。

 

 

 

僕は医療を説明するときに、まずその「人的構造」に着目する

医療の世界は、医師を中心とした有資格者が構成する世界である。

医師・歯科医師は別格というところがあるが、それを中心に、看護師、薬剤師、技師その他、多くの医療資格者が登場する。

よく言えば職能チームだが、見方を変えると、医師を頂点としたピラミッド、ヒエラルキーの世界だ。

 

だから、僕は一歩医療機関に足を踏み入れたら、言葉の使い方、人の心持ちなど、この構造に対して非常に敏感になる。

全然えらぶらない人もいれば、僕のような事務屋を見るだけで、「ふんっ」という雰囲気になる人もいる。

だから、エライ方々だから気を付けるような意味合いではなく、皆さんが履いている「心のゲタ」の高さのようなものに、気を付けている。

 

 

ところで福祉の世界では、この辺りの人的構造が違う

例えば、特別養護老人ホームを経営する社会福祉法人で見ると、トップが医師とか決まっているわけではない。

そして、こちらも有資格者の集団であるが、配置の必要上から看護師がいるものの、あとは介護福祉士とその補助が大半を占める。

だから、際立って高いゲタをはいている人もいないし、職場としても横並び感がある

 

 

さて、その医療と福祉の人的な構造の違いが、何を意味するか。

 

僕は、とにかく医療の世界は複雑に形成されていると、常々感じている。

医療の世界では、「医師が一番えらい」というムード的な問題ではなく、医師が存在しないと医療機関は存立できないのである。

技術と志に優れた看護師と薬剤師が何百人いても、医師数名がいなければ、病院又は診療所は存立できない。

さて、それでは医師をガンバって集めたとして、今度は一定数の看護師がいなければ、入院患者に入ってもらうことができない。

ところが一定数の看護師が入院患者を診ると、本来は薬剤師が病棟薬剤を管理するべき、という議論が出てくる。

そんなワガママな人員配置を揃えた頃に、人気医師が医局の都合で引き上げて、血眼になって次の医師を探す・・・

 

そんな感じの、複雑な世界を上手に統制しようと、事務長(やボク)などが出陣すると、医療を知らないくせに~とボコボコになる。

また、そこには医師の世界、看護師の世界、その他医療職の世界ごとの、給与水準や文化など異なる世界観があるから、より複雑だ。

 

しかし、僕は医療から入っているし、お付き合いの深度も圧倒的に医療機関が多いので、医療の構造のほうがカラダに馴染んでいる。

まず組織図を見て、医師がいて看護師がいて・・・という構造を確認すると、「いつものやつだな」と安心する。

 

 

その点で言うと、福祉の世界は構造としてはよりシンプルである。

福祉の世界でも、介護士不足は深刻で簡単という話ではないが、構造的にシンプルなので本題に入りやすい。

ただ、本題に入りやすいということは、議論がシフトとか入所者ケアの技法とか、介護そのものが本題になるので、僕など事務屋には難しい。

 

医療の世界でも当然、医療技術が最重要なのだが、それを取り巻く複雑な環境に対して、僕ら事務屋が貢献すべきことが山ほどある。

医療行為以外に、かなり多くの問題を解決しないと、医療機関を存立させることは難しいのだ。

 

 

そんな医療と福祉の人的構造の違い、ぜひ気にしながら見ていていただきたい。

 

岸野康之 拝

医療コンサル(10)医療と福祉の全体像

IOCのバッハ会長によると、日本人はこんな感じ、とか。

「日本人のユニークな粘り強さという精神、逆境に耐え抜く能力をもっているから。美徳を感謝したい」

どんな英語を和訳したのか分からないが、つまり「逆境に耐えられるだろうから、五輪やるよ」ということに見える。

 

しかし、逆境に耐えるかのような意思決定をしているのは一部の人で、僕ら末端の国民は、ただ「モノを言いにくい空気」に押されて黙っているだけだ。

その辺、日本人は無口で意見しないから、多弁な西洋人からは「我慢強いのお」としか思われないのでないか・・・

 

 

1 医療と福祉

 

医療と福祉は近く見えるが、基本的に違う。

医療は、医行為によってケガや病気を治すものだ。

福祉は、ケガや病気とは関係なく、全ての人が一般に生活を維持できるように公的に扶助したり支援する制度だ。

老人福祉、障碍者福祉、困窮者への福祉、児童福祉など、福祉の範囲は極めて広い。

 

その意味では、無償医療や低額診療を含めた、低廉な価格での医療提供は、広義の福祉の範疇に入るかも知れない。

 

いずれにしても、医療を定める法律が目指すものと、福祉を規定する法律群が目指すものは、近いが同一ではない

別に同一性を否定しているわけでなく、もともと目的が違うから、全く相いれない部分があるのである。

 

 

2 介護保険の登場

 

医療と福祉は別のものであると上述したが、実際には特に高齢者医療・高齢者福祉においては、医療が高齢者福祉の一端を担う時期が長く続いた。

また福祉提供は、主に市町村などの行政措置によるものが多く、負担と給付の関係が曖昧だったり、介護サービスの地域差などが顕著になっていた。

 

こうした様々な問題に対処するために、2000年度から「介護保険法」が成立し、介護保険料の納入と介護施設サービスの給付が、仕組みとして体系づけられた。

これにより、少なくとも制度上の建前としては、医療をする制度と高齢者福祉を提供する制度が、キレイに区分、明確化されたわけである。

 

 

3 地域包括ケアシステム

 

しかし実際には、制度をどのように変更しても「少子高齢化」の急速な進展に、変わりはない。

むしろ、それまで以上に「医療福祉が一体的に」、高齢化問題に取り組んでいく必要があった。

その国家的な取り組みの中心に、「地域包括ケアシステム」が位置付けられることとなった。

 

 

地域包括ケアシステムでは、高齢化してからの数十年、病気になったら適切な医療機関に行き、介護が必要になったら適切な介護サービスが受けられるように、様々な仕組みがこの包括システムを支える

そして極力、住まいでも医療・介護サービスが提供できて、かつ、住まいで最期の「看取り」までできるように、様々な仕組みが作られていった。

 

もちろん、こうしたシステムの経済的誘因はあり、それは医療保険財政を堅持していくことだ。

そのため、高コストである医療機関の入院を最低限に抑えていくための仕組みも、非常に細かく張り巡らされている。

そして、そのことの是非などを問うている間もなく、高齢化社会はさらに進展し、地域包括ケアシステムは全国各地でしっかり形成されてきているのである。

 

 

 

昔は、介護・介助を受け、福祉施設に入り、最期は病気になって医療機関に入る、という流れだった(イメージ的に、は)。

しかし現在は、医療機関の入院が長くなると老健・特養に入り、最期の段階になるとその施設で、または住まいに戻り、「看取られる」こととなる。

このように、高齢者人口の圧倒的な増加が、数十年の間に医療と福祉の関係性を大きく変えていくこととなったのである。

 

 

次は、医療と福祉への業務的なかかわり方について、少し触れてみたいと思う。

 

岸野康之 拝

医療コンサル(9)財務コンサル、スポット税務

好きなマンガの作者が亡くなられたことで、3,4日の間、ロスってしまった。

ついついブログまで、マンガネタを3日連続で書いてしまった。。。

さて、この辺で気を取り直して、本来の税務・医療ネタに回帰しなければいけない。

 

 

1 財務コンサルと、スポット税務

 

僕の場合は、いわゆる病院・診療所の税務顧問の仕事と、病院に財務コンサルとして入る仕事とがある。

ただし、契約上は税務顧問だったり財務コンサルだったりしても、実際にご一緒してどんな課題が出てくるかで、お付き合いは変わってくる。

 

会計業務の契約だが、会計は経理課が全てやっていて、当事務所は専ら理事長の財産問題に取り組むお客様もあるし。

新病院建設の会議に参加することが主目的だが、スポットの税務処理を任されることもあるし。

資金繰りの点検に入った病院で、資金繰りの一環で、出資持分の放棄を実行することもあるし。

それはもう、様々だ。

 

基本的に、財務コンサルで入って先方に顧問税理士がいらっしゃる業務では、僕は依頼がない限り、税務には触れない。

しかしご依頼があったり、「実施したほうが良い」と思える税務処理がある場合には、顧問税理士と協力して取り組むことにしている。

 

 

2 業務メニュー

 

財務コンサルで入る仕事は、様々だ。

・用地買収、整地のための土地売買の手伝い

・相続対策、財産整理

・M&A、法人組織変更の準備業務

・新病院、新施設建設のための準備業務

・経営会議への参加

 

こうした業務に入っている中で、スポットの税務処理を請け負うことがある。

・出資持分の放棄

・消費税の監査・申告

・寄付金税制の活用、寄付講座設置

・その他、特殊な税法の適用

 

 

3 スポットで税務業務ができる環境とは

 

横から財務コンサルといって入って来た人間が、税務に手出し、口出しできる環境・条件とは。

いろいろあるが、とにかく最重要なのは経営者、顧問税理士、ほか関係スタッフたちとの「全体的なコンセンサス」に尽きる。

僕らと税理士だけ知っている、僕らと経営者だけ知っている、あるいは他の経理スタッフ等は全然知らない、というのは絶対だめだ。

 

この仕事をしていると、経営者とのコンセンサスだけで生命保険や商品を売って行く営業パーソンを、よくお見掛けする。

契約はそれでできてしまうが、財務経理担当や、顧問税理士に一切説明が無いので、あとでトラブルになっていることが多い。

税理士でも、一部のコンセンサスで物事を進めてしまう人がいる。

 

無論、全員のコンセンサスなど取っている時間がない急場も存在するし、僕もそういうときはトップ判断だけ仰いで実施する。

しかしほとんどの場合は、重要な業務決断になる上に、スポットで生ずるような税務などはただでさえ複雑である。

だからトラブル防止のためにも、こちらから会議や各決裁者に説明に回ったり、顧問税理士にご挨拶したりして、了解を取り付けて実行する。

 

 

 

税務でコンサルというと、「どうやったら一番税金が安くなるか」を指すと思われがちだが。

そんな目的ではセカンドオピニオンの関与はできないし、入っても大した成果は得られない。

税務と別に主たる目的をもって業務に入り、そこに税務という武器も常に磨き、携えておくという形が、クライアントからの信頼も得やすいし、広く深く見渡しやすいと思う。

 

 

岸野康之 拝

閑話休題 ~ベルセルク(漫画)③登場人物たちと人生~

3『ガッツ』(主人公)

 

(1)孤独と仲間

 

『ガッツ』は孤児で、傭兵団の中で育つが、幼少期に育ての親(傭兵の師匠)の裏切りにあって以降、基本的に自分一人で生きてきた。

 

それが、縁あって『グリフィス』と出会い、彼が率いる「鷹の団」に入団、そこで後の恋人『キャスカ』や仲間たちと出会う。

だが、剣一本で一人生きることへの渇望(?)から、そして盟友となった『グリフィス』と対等でありたい意地から、せっかく得た仲間たちと離れて、一人修業(放浪)の旅に出る。

結局1年もしないうちに、巡りあわせで一度鷹の団に戻るが、自分が抜けた直後に『グリフィス』が事件を起こし、その結果、団が半壊したことに自責の念を感じることとなる。

 

それから間もなく、仲間たち全員が『グリフィス』転生の生け贄となり、かろうじて自分と恋人『キャスカ』だけが生き残るが、ここでも彼女を人に預けて、再び一人で復讐の旅に出てしまう。

そして2年間の旅から戻ると『キャスカ』が失踪しており、ここで初めて『ガッツ』は「もう大切な者を失いたくない」という必死の思いに駆られ、以後、最後まで『キャスカ』を護りながら行動することになる。

 

 

『ガッツ』は、どうしても剣を握って、一人で行ってしまう。

本人も「なんでいつもこうなんだ」と嘆く。

分かってはいるが、何度も大切なものから離れて、手に馴染んだ剣に頼って生きてしまう

その不器用な意地や自分勝手さは、誰しもどこかに持っている、また人によっては、憧れているものでもあると思う。

 

この30年続く長編は、孤独に生まれ育った『ガッツ』が、大切なものを捨て、失い、そして旅路の中で大切なものに目覚めていく、心の旅の物語でもある。

僕は、そういう彼の不器用さ、自分の力だけで越えようとする更なる不器用さが、自分のあり様に照らして深く共感してしまう

その共感に、全てが上手くいかない時期に、ずいぶん励まされたものである。

 

(2)強さの心地よさ

 

『ガッツ』は生け贄を逃れた際に片目と片腕を失い、その後、失った片腕にボウガンと大砲を仕込み、残る腕で大剣を振るう。

魔物たちは一匹ずつがハンパでなく強く、最初は一匹倒す都度に重傷を負うが、無数のストリートファイトの中で武器を使いこなすようになり、生身のカラダで怪物たちと渡り合うようになる。

 

少年マンガでは、2年くらい修行するとレベル違いに強くなるのは、お決まりパターンであるが、『ガッツ』を見ていると、「よくぞ死線を潜りぬけて強くなった」という様子が伝わってくる

 

 

あいつ(『グリフィス』)に辿り着くまでの数え切れない夜がオレを叩き上げた

という彼の言葉があるように、僕も、仕事でも何でも、彼のように無数の闘いを経て強くなっていきたい。

 

(3)仲間と装備

 

手短に書くが、新しい旅の中では「(たぶん)元魔王」「魔導士」「風の剣士」「妖精」「弟子」など、従来の兵団とは異なる仲間たちに出会っていく。

また、その出会いによって、人外の者どもと戦い抜くのに必要な、様々な新しいアイテムや技術を獲得していくことになる。

 

肉体を鍛え上げ、仲間を得て、アイテムと技術を獲得し・・・

いつの日か「この世ならざる者となった」『グリフィス』と、邂逅することになる予定だったのだろう。

 

 

4『グリフィス』

 

『グリフィス』は幼少期から一貫して「城」が欲しかった、つまり王になるのが夢だった。

この姿勢は一貫してブレないのだが、唯一、『ガッツ』といるときだけは、この夢を忘れるのだという。

つまり夢を追うよりも、『ガッツ』という盟友を失いたくない気持ちが上位にくる、ということらしい。

だから『ガッツ』が鷹の団を抜けるときは必死に引き留めたし、それでも出ていったので、自暴自棄になって事件を起こしてしまった。

 

 

夢を追うか、友を取るか。

『グリフィス』は友を取りたかったようにも見えたが、そもそも、その友のほうが裏切って出ていったのだ。

裏切った友が、自分が復活できないほどボロボロになった局面で、戻って来た。

そんな場面で、悪魔たちから「仲間全員を生け贄に『捧げて』夢を追う」べき提案をされ、そこで友への情愛を断ち切り魔王となった。

 

そして転生した後、一度だけ『ガッツ』と再会した局面で、彼は言う。

『ガッツ』「お前はお前がやったことに、裏切った仲間たちに 何一つ感じちゃいないのか

『グリフィス』「言ったはずだ オレはオレの国を手に入れると お前は知っていたはずだ オレがそうする男だと

 

そう言い残したグリフィスの背を見ながら、『ガッツ』は「今度はオレが置いていかれたのか」とつぶやく。

 

 

 

この話は広大な時空と世界観で描かれているが、二人の胸中と行動は、我々も思い当たるものがある。

決して裏切ったわけではないが、相手方には裏切りと見えること。

裏切られた当人は、気持ちを切り替えすべてを捨てて、自分の夢に邁進していく。

そしていつの間に、それぞれは自らの行くべき道を全力で進み、互いを顧みることもなくなる・・・

 

壮大な世界観で描かれているが、これは人生である。

僕ら読者は、いつの間にか物語の結末というより、彼らの行く末を追い駆けるようになっている。

彼らの旅路の果てに待つもの、選択の末に到来するもの、それは何なのかを見たかった。

 

 

 

さて、散々書き散らかしたが。

作者は未完の大作を残したまま、志半ばで急逝されたが、それでもこのお話についていえば僕は三つ、安心した点がある。

 

まず、恋人『キャスカ』が最終巻で一応、正気を取り戻したことである。

これがある時点からの旅の目的であったわけだから、少しホッとする。

 

次に、魔王となったグリフィスが、とてもマジメに帝国の増強に努めていることである。

自分自身で魔都を生み出しながら、妖魔を駆逐して帝国を護っているのだから、まあマッチポンプ的な話ではあるが。

しかし、おそらく本人は本気で夢を追っているだろうし、人間、人外の全ての者にとっての楽園を作ろうとしているのかもしれない。

 

そして一番安堵しているのは、『ガッツ』が『グリフィス』への執着を断ち切ったばかりか、夢を追う彼に対して一定の理解を持ち始めた点である。

いや、仲間を殺して魔王となり魔都を支配する者となった旧友を、理解するというのも変な言い方なのだが。

少なくとも時間の経過、環境の変化、そして戦いと迷いを命懸けで潜りぬけてきた自らの歴史が。

『ガッツ』を単なる復讐鬼から、少しずつ守るものを持つ真の戦士へと変えていった。

最終巻の手前で、『ガッツ』のその変化を見届けたから、ここで未完となっても、少し安心して僕自身の脳内イマジネーションを楽しむことができる。

 

 

と、いっても、まだ最終巻となっている40巻のあとのお話が、数話連載されたままとなっている。

だから、おそらく「薄めの41巻」がいずれ刊行されるのだろう。

その発刊を、次の楽しみにしたい。

 

 

すっかり、今週後半は「ベルセルク・ロス」となってしまった。

 

今日から、一から気合を入れ直して、全集中で業務に邁進したいと思う。

 

 

岸野康之 拝

TOP