税理士 岸野康之 事務所

医療機関専門
財務、経営、相続 アドバイザリー

税理士 岸野康之 事務所のブログ 一覧

医療コンサル(7)コンサル業務と「歴史」

最近、自宅にマンガ「大奥」が流入し、その内容について話題に出すことが多い。

この「大奥」は、基本はすべて史実に沿って、ただ一点「全キャラクターが男女逆転している」ということだけ、史実と変えている。

だから徳川家光を始めとした歴代将軍たち、老中たち、そして街の芸妓たちまでが、みんな女性なのである。

 

言いたいのはその男女逆転部分ではなく、その史実への理解である。

その真贋はともかく、歴史的事実は一つであるとして、その歴史的事実の解釈や読み方は無数にある。

上記マンガの筆者は、出演者の性別を男女逆転させているだけで、全編を通してご自身の歴史解釈をしっかり示している。

その歴史に対する見方、見せ方、そして解釈という考え方は、僕らがコンサル業務を実施する上で、非常に大きな意味を持っている。

 

 

1 歴史の補完

 

例えば、ある地域の病院に業務に入った時に。

現地の人たちは、当然その現地の歴史を1から10まで、すべて見ているかもしれない。

僕は初めてきて、図書館やネットで勉強して歴史を知る。

 

さて、現地の人たちは実は、まさか自分たちの現場の歴史が、本やネットでそんな風に書かれているとは知らないことがある。

案外、自分の街の歴史などは誰かが補完してくれなければ、改めて資料で見たりはしない。

そういう外部情報からまとめた歴史が、現地の皆さんにとって新鮮な発見となる場合がある。

 

 

2 歴史の解釈、見え方

 

自治体の議会で奮闘している人たちにとっての失政、失策であることが、外部的に見ると何ら問題なく見えることがある。

当然、逆に我々が正しいものと理解している歴史が、現地から見て大変な誤りである場合もある。

同じものに光を当てても、見る人、見る角度によって解釈や見え方が異なる。

この差異を埋めていく作業こそ、「なぜ、いまこうなっているのか」という現状分析の、非常に重要な作業になる。

 

 

3 歴史への共感

 

僕は、各地に仕事に行くたびに現地の歴史を知ろうとするのは、現地の人たちと歴史を共感するため、という側面がある。

こんな小さい島国でも、文化や精神形成の地域差というのは、とても大きい。

そこに年齢など加わると、とても会話・対話にもならない。

その現地、現場の皆さんと僕の大きなミゾを埋めてくれるものの一つが、地域への歴史認識である。

 

これは病院のコンサル業務に限った話ではなく、相続や紛争仲裁など、個人間の話でも同じだ。

家庭の問題に踏み込むには、家庭の歴史を知らなければならない。

病院、企業、家庭、人生・・・いずれであっても、その歴史を知り合うということは、最大の共感性である。

まして、若い僕らが大先輩たちと何かを共にするならば、歴史への理解・共感は、その大きな差異を埋める重要なファクターとなる。

 

 

 

これまで多くのコンサルレポートを提出してきたが、レポの前段では必ず地域・病院の歴史に言及し、その説明を行う。

すると、面白いほど皆さん、その歴史の記述について「お褒めかツッコみ」をくださる。

そう、皆さんとても関心が高いパートなのだ。

 

歴史の記述など不要とする方もたくさんいるが、歴史をコンサルテーションの重要ファクターと位置付けている者がいることも、ぜひ知っておいてほしい。

 

現在、新幹線車中。

また明日も頑張りましょう。

 

岸野康之 拝

医療コンサル(6)家計簿という会計

どのくらいの数の家庭が記録しているかは分からないが、「家計簿」、というものをつけている家庭がある。

この家計簿は、どんな機能を有していて、何の目的で作られているのか。

 

 

1 会計が持つ機能

 

会計が持つ機能というのは、実は、幾通りにも考えられる。

僕も会計について様々な実務・検証を行ってきているが、ここ数年は、会計の機能を「財務会計」「管理会計」の二種と前提して実務をしている。

後者の管理会計については、僕自身が縁あって「病院管理会計講座」を開催することがあるので、詳しくは別の機会に書いていきたい。

 

さて財務会計とは、簡単にいうと次の要件を満たすような会計である。

①過去の記録

②利害関係者への公表等が主目的

③法律や会計基準などで、作り方が定められている

例えば、最終的に適切な税務申告をするために組成している会計は、正に①~③の全てに該当する「財務会計」だ。

また税務署とは別に公認会計士監査、官庁などに提出するために作成するものも、「財務会計」である。

 

一方、管理会計とは次のようなものを言う。

①過去の記録から将来の「目標予算、収支目標」の策定を行う

②「目標達成のための」団体内の業績管理、共有、意思決定のために作成

③どこにも定められた作成方法はない(参考書はたくさん出ている)

予算書などはある意味での管理会計であるが、ただ予算書というと、多くの団体で「テキトーに作成している」か、「官庁的な消化予算を作成している」か、のいずれかである。

経営に生きる「目標予算」を作るには、過去財務の十分な分析を行い、その財務のもととなる現場の実情を把握していなければならない。

さらに予算を本部で作って「やれー」というだけで動くはずはなく、それを現場の長がいかに実践に向けるかというのが、管理会計の要諦である。

 

 

2 家計簿の機能と目的

 

基本的に、僕が知る家計簿の機能は「PL(損益計算書)・CF(資金繰り計算書)」だ。

<収入(給料)ー 経費(あらゆる支出)= 現金残高>

現金の増減を把握して、その上で現金の残高・住宅ローン残高等を点検する。

そして、子供の成長、介護開始による出費など、立体的な客観情勢も勘案して将来予測を立てる。

 

ドラマなどでは、その家計簿を見ながら

「今月の赤字だわ・・・ダンナの小遣い減らさなきゃ」

「どうしよう、娘は私立に行きたいと言っているし、学資ローンが必要かな」

「お義母さん、本気で同居なんてするの? だったらリフォーム資金の工面を・・・」

と、課題を抽出して、それに対する対策を立案し、達成可能な予算目標を策定していく。

 

そう、家計簿の機能は、上記1の二つの会計でいえば、「管理会計の機能」なのである

 

家計簿は、税務署にも銀行にも出さない(出すものの元となることはある)し、作成方法や基準など何もない。

しかし、世の中の財務会計による企業など団体の帳簿記録より、よほど実務的な目的にフォーカスして作られている。

家計の維持、家族の発展という目的(ミッション)を達成するための管理ツール、予算執行ツールとして作られるものだ

 

家計簿というと、のび太のお母さんの溜め息が聞こえてきそうなツールであるが。

実は、我々がビジネス上で最も参考にすべきツールであり、会計を戦略的に構築するつもりなら、ここから昨日と目的を考え始めるべきものでないだろうか。

 

岸野康之 拝

医療コンサル(5)医療の資格者とともに

ここ2、3日、現場の各医師たちのお話を総合すると、GW明けに相当量のコロナワクチンが入荷されたらしい。

それが、国や自治体が設けた地域ごとの接種体制を通り越して、急遽、民間の各病院、各クリニックに接種を割り当てられている、というのである。

 

ようやくそういう日が来たか、と思うが。

それにしても、日本の政治家というのは、朴訥としていて口下手だと思う。

もうちょっと上手く言えよ、引き伸ばすにしてももうちょっと上手にやれよ、と思う。

そんなハニカミ屋の政治家たちの意思決定で、山のような数の事業者たちが、生死の瀬戸際にあるわけだから・・・

 

 

医療の世界に入って、最初に痛感したのは強固な「医療界のピラミッド」だ。

医師を頂点にして、看護師、薬剤師、その他・・・と続いていく。

長年、医療界にいる中で、そのピラミッドの存在を感じながら生活している。

 

医療界には、多くの医療関係法令の中に「医師の指示により」という一文が含まれている。

保険診療で収入を得るにも、看護師等がどこかに行って自由裁量で業務するにも、コロナ禍で緊急措置を求められても、医師の決裁権が最上位におかれる。

医師の指示によらないのに、医療行為や、医療類似行為で収益を稼得させない、ということを至上目的にしていると思われる。

 

それはそうだ。

医療保険制度を悪用した犯罪は数多く、ヤクザほか人外のならず者たちが、保険制度で荒稼ぎを試みた歴史がある。

保険料の納付者(僕たち)と、その使用(?)者たちとの間に信頼関係がなければ、医療保険制度(介護保険もそうだが)が成立しなくなってしまう。

いま、日本の生産労働人口の20%近くは、医療機関勤務や医療関連産業を含めた、医療関係の業種に従事している。

そんな中で、医師以外に看護師、理学療法士、薬剤師など、他の医療資格者が自らの権限で医療保険の給付を実施できたら、我が国の医療保険制度は、良くも悪くも請求し放題のパラダイスになってしまう。

だから、医師による診察を頂点とした医療保険の給付制度は、経済的節制という点で、非常に大きい存在意義を有しているのである。

その点では、僕は深く立ち入らない論点であるが、柔道整復師や按摩マッサージなど、医療以外の産業における保険請求というのは、医療界の一つの課題になっている。

 

 

ともかくそのようなわけで、よく「あの名医は」「医療サービスを向上せよ」「あの医師を変えろ」的な報道があるが、何を言っても医師がいないと保健医療は成立しない

それなのに、より良い医師、より良い医療を求めた結果、今いる医者を追い出してしまい、地域から看護サービスや介護サービス薬剤処方までが、丸ごと消し飛んだ事例がアチコチにある。

医療というのは決して自然に存している公共サービスではなく、医師など医療資源に該当する人たちが「たまたま」いらっしゃることで、偶然成立しているようなものだ

その内容についてモノ申す方は、いなくなれば簡単には戻ってこないという、そのシビアな現実をしっかり理解していただきたく、警鐘を鳴らしたい

 

別に一般市民が「もっと良い医療を」、という青臭いシュプレヒコールをあげるのは構わないと思う。

しかし、都道府県・区市町村など地方の議員・政策担当者など、一見権限があるっぽい人たち(実際は、医療の人事には一切無権限)が、その青臭いシュブレヒコールをあげた結果、地域医療が苦境に陥いる場面を見かける。

有権者の得票や市民の目を気にして、医療者を叩いて、医療が半壊して、それでも当の本人たちは「医療のために頑張った」などと言い放っていることもある。

医療に物申そうという方々には、いま地域にいる医療従事者のマインドが高まるような形で、言葉を放ってほしいと思う。

 

ともかく、日本の医療制度は、良かろうと悪かろうと、医師を頂点にしたピラミッド状の資格関係によって成立している。

実際の組織の統制上も、医師がいないと成立しないし、診療報酬の請求や都道府県への届出など、公的形式面においても、医師抜きには存立しえないのである。

 

 

さて、医療コンサルというテーマの中で、なぜこんなことを書いたかというと。

僕らが医療界のど真ん中を歩く上で、一番気にしている点が、ここだからである。

 

我々部外者が「こっちの診療報酬を取れ」と指摘するのは簡単だが、それを実践するのは医療者たちである。

その疾病に対し、その医療行為を実施していいのかどうか考えるのは、医師や医療者たちである。

我々部外者が「医師・看護師の人件費率が高い」などと評論するのは簡単だが、それを聞いた医療者たちがどんな就業行動に出るかは、想像もつかない。

そのように、コンサルタントと自称する者の迂闊な発言によって、地域医療が危機に陥った例は、枚挙にいとまがない

 

 

コンサルタントは、明日名刺に印字すれば名乗ることができる。

しかし、そんなコンサルタントが有資格者である医療者たちに対して、存外大きい影響を与えていることがある。

だから、我々事務屋がコンサル業務で医療現場に入るときには、相応の覚悟と結果への想像力が求められるのである。

 

岸野康之 拝

医療コンサル(4)ヒアリング

最近はコロナに関する真実の情報、五輪に関する諸情報が、ない交ぜになって流通している。

僕は何でもかんでも開けっ広げに議論すればいい、というものではないと思うし、日本人の島国的な慎み深さは嫌いではない。

しかし、このコロナ政策では生計を奪われ、生活の先行きが見えない人をたくさん生み出しているのだ。

コロナ、五輪に関しては慎みなどせず、もっと声を大にして、是々非々でジャンジャン議論すべきである。

 

 

さて、会計の世界に入って初めてのまとまった仕事は、北陸にある公立病院コンサルであった。

F井総研にいたという先輩に連れられ、「コンサルタント」と記された名刺を持ち、コンサル業務に着手した。

 

ここで、その後の職業人生の基礎となる様々な経験をしたのだが、もっとも印象深かったのが「ヒアリング」である。

 

先輩から、約500人超の職員のうち、200人近くの職員から「ヒアリング」を行うように命じられた。

医療機関など初めて触れるし、医師・看護師・ほかスタッフなどと、何を話して良いか分からない。

大変なムチャ振りであるが、とりあえずやってみることにした。

 

ヒアリングで、そんなにテクニカルな質問を投げたり、医療技術的な話を聞くわけではない。

「この病院のいいところと、悪いところはどこですか?」

「あそこに立っている銅像は、誰のものですか?」

「どこの大学から来ているのですか?ほかに行きたい病院はありましたか?」

と、とても日常的で簡単なことをお聞きする。

 

このヒアリングというのをやっていて面白い、と思ったのは、お相手があるゾーンに入ると、

全てあちらから、聞きたいことをお話してくださる」ことだ。

こちらから聞き倒して聞き出す、という方法だとたいがい「時間切れ」になり、聞きたいことは聞けずに終わる

 

お相手が、自分でいろいろお話したくなるための、環境整備を行うのが、我々のヒアリングである

 

最初の仕事からそういう核心に気付けたのは、先輩も大して経験がなく、僕に至っては「会計も医療も未経験」の完全ド素人だったからだと思う。

明らかな完全ド素人コンサルが、プロの医療従事者たちから様々な意見を聞ける、というのは面白い発見であった。

 

 

この北陸の病院でのコンサルは、実は僕が就職した税理士法人で、初めて入札で落とした案件だったらしい。

そこに、未熟な先輩と完全未経験の僕が送り出された案件で、そんなコンビが作った提出成果品は、とても残念な内容だった。

しかし、とにかくこのヒアリングというのは、何物にも代えがたい経験となった。

そしてその後、多くの病院コンサルやM&Aに従事する中で、1病院につき100人単位のヒアリングを、一人でこなしていけるようになった。

 

多くの方とヒアリングしていると、中には日頃の怒りをぶつけたり、僕の未熟やアラを責めたりする人も、当然いらっしゃる。

しかし、どれだけボコボコにされても、スケジューリングしたヒアリングは継続されていく。

空手でいう「百人組手」みたいなものだ。

ヒアリング業務で責められ続けて心が折れて、大手コンサル会社を退職する人もいるそうだ。

 

 

しかしヒアリングというのは、こちらが聞きたいことを「聞きにいく作業」でなく、「話していただく」作業だ。

怒りとか責めとかを含めて、お相手が口にしたあらゆる言葉の中に、「こちらが聞きたいこと」のヒントが詰まっている。

そしてみんな、話したいことを山ほどお持ちになっており、その話したいことの中に、たいてい僕らた聞きたいことも混じっている。

それはコンサル業務だけではない、相続の仕事でも、医療法人の経営会議でも、みんな同じことだ。

そのことが分かってからは、何を言われても、全てが情報の宝庫であると思えるようになった。

 

 

因みに、有名なコンサル会社メディヴァの代表・大石佳能子氏も、医療コンサルを始めるときに、大量のヒアリングから始めたと仰っていた。

それにより、最初から医療現場の知識の蓄積がはじめられた、とも仰っており、僕自身、その点についても上記の経験からとても得心がいった。

 

 

聞くこと、聞く力、ヒアリング。

ここに、あらゆるコンサルテーションの基礎があると、確信している。

 

岸野康之 拝

閑話休題 ~デューク東郷 ワザと軍勢~

ワザは一つが良いか、それともワザは多彩が良いか、軍勢を有するべきか。

なかなか難しいテーマだが、僕は「戦い方」「戦う場所」で、その答えは変わってくると思う。

一つのワザを鍛え貫いてこそ勝てる舞台や戦場はあるが、逆に多様なワザや軍勢を要求される戦場も、当然あろう。

ビジネスで生きる人間は、ある段階からは後者の多様さが求められると思う。

 

デューク東郷(ゴルゴ13)は、肉体による格闘、銃器や武具による戦闘、知識・語学・記憶力、そして夜の技・・・

あらゆるワザを使って、何をしているかというと。

「おれは、一人の軍隊だ」

と、彼は述べている。

そう、彼が様々なワザを会得して実施しているのは、一人軍隊としての戦争である。

 

彼の本業は、ライフル等による狙撃を用いた、標的の制圧である。

しかし、最期にターゲットを仕留めるのは、スナイプ(狙撃)力であるにしても、それだけでは、標的に至ることができない。

語学や夜の技も伴って、初めて情報戦を制し、巨大勢力をかいくぐり、最終標的に接近する。

近すぎる敵に対しては銃器より素手による攻撃が有効だから、武術や肉体が役に立つ。

そして標的を捉えるものの、待つことが必要であれば何十時間も動かず構え続ける、精神と肉体の強靭さをもっている。

目的達成のために、これほどまでに、個の力を高め続けているのである。

 

一方、彼について特筆すべきは、自分一人の力だけでは無く他人と共闘しているところだ。

そのネットワークは、デューク東郷という強力な武力を活かすための、目に見えない軍勢であると言える。

まず、彼を信頼し、また彼に協力する世界的な(細々とした)情報ネットワークがある。

依頼者たちは、様々な特殊経路から彼を探し当て、表に露見しない形で彼に依頼をするのである。

また、あらゆる銃火器の調達については、世界中に気心が知れた(?)武器職人たちがいて、適宜注文に応じてくれる。

 

そして彼には、職業を通じて貯めたカネがある。

カネがあるから、惜しみなく先行投資をして、また充実した移動や調査ができるし、ネットワークを維持できる。

そしてすごいのは、莫大なカネを有しているものの「それを失うことを(ある程度)恐れていない」という点だ。

たしかに、僕のような超小物でも、ちょっと諭吉さんが増えただけで「消えないで、諭吉さん」という臆病心が湧いてくる。

彼はその意味では、最終的には様々な部分で「捨て身」であるからこそ、常に死地に立てているのではないか。

(この点は、異論も反論もあろう)

 

 

僕の場合は、デューク東郷でいうライフルが、税務であり税理士の看板である(百発百中でないので、お恥ずかしいが)。

ただどんな職業でも、銃弾やライフルだけたくさん背負っても、ターゲットに到達できなければ意味がない。

ライフル(商品)があっても、それをターゲットに当てるためには、他のワザや軍勢が必要になってくる。

 

税理士が、あとから別の資格をまた取得するのも、有効なワザの会得である。

ただ、武器を二つ以上持っても、使いこなさなければ意味はない。

刀のほかに短銃や手裏剣を持っているなら使いようもあるが、二刀流となると、敵を切るには相当な鍛錬が必要だ。

僕は、短銃や手裏剣としての相続診断士など民間資格を有しており、戦場において大変重宝している。

 

税理士がコンサル技術を有しているというのは、僕自身の実感として有用なワザのmixだと思う。

税務が刀とすると、コンサル技術は盾とか馬とか、足さばきとかに該当し、刀と組み合わせやすい装備になる。

他にいまさら弁護士や看護師の資格を有するより、よほど使い勝手がイイ。

ただこの技術は、ある時期に修得のために膨大な経験を積んで、会得する必要がある技術である。

 

一方、自らのワザを活かすために軍勢を有することは、もちろん必要である。

職員を雇用したり、外部に業務提携のネットワークを構築したり、ホームページを作ったり。。。

そういうものがあって、初めて自分のワザを活かす場所を見出すことができる。

 

 

 

そんなわけで、自分のワザをどう活かすか考える上で、デューク東郷のあり様はとても参考になるのである。

 

最後に、「ゴルゴ13を部下にする」という生き方も、当然あるのだろう。

ビジネスを規模で拡大したいと思ったら、そういう猛獣使いの要素も必要だろう。

 

ただ僕は、ビジネスとしての合理性以前に、デューク東郷を配下に置くよりも、自分がデューク東郷のようにありたい性格である。

(へんなblogになった)

 

岸野康之 拝

TOP