税理士 岸野康之 事務所

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税理士 岸野康之 事務所のブログ 一覧

医療コンサル(5)医療の資格者とともに

ここ2、3日、現場の各医師たちのお話を総合すると、GW明けに相当量のコロナワクチンが入荷されたらしい。

それが、国や自治体が設けた地域ごとの接種体制を通り越して、急遽、民間の各病院、各クリニックに接種を割り当てられている、というのである。

 

ようやくそういう日が来たか、と思うが。

それにしても、日本の政治家というのは、朴訥としていて口下手だと思う。

もうちょっと上手く言えよ、引き伸ばすにしてももうちょっと上手にやれよ、と思う。

そんなハニカミ屋の政治家たちの意思決定で、山のような数の事業者たちが、生死の瀬戸際にあるわけだから・・・

 

 

医療の世界に入って、最初に痛感したのは強固な「医療界のピラミッド」だ。

医師を頂点にして、看護師、薬剤師、その他・・・と続いていく。

長年、医療界にいる中で、そのピラミッドの存在を感じながら生活している。

 

医療界には、多くの医療関係法令の中に「医師の指示により」という一文が含まれている。

保険診療で収入を得るにも、看護師等がどこかに行って自由裁量で業務するにも、コロナ禍で緊急措置を求められても、医師の決裁権が最上位におかれる。

医師の指示によらないのに、医療行為や、医療類似行為で収益を稼得させない、ということを至上目的にしていると思われる。

 

それはそうだ。

医療保険制度を悪用した犯罪は数多く、ヤクザほか人外のならず者たちが、保険制度で荒稼ぎを試みた歴史がある。

保険料の納付者(僕たち)と、その使用(?)者たちとの間に信頼関係がなければ、医療保険制度(介護保険もそうだが)が成立しなくなってしまう。

いま、日本の生産労働人口の20%近くは、医療機関勤務や医療関連産業を含めた、医療関係の業種に従事している。

そんな中で、医師以外に看護師、理学療法士、薬剤師など、他の医療資格者が自らの権限で医療保険の給付を実施できたら、我が国の医療保険制度は、良くも悪くも請求し放題のパラダイスになってしまう。

だから、医師による診察を頂点とした医療保険の給付制度は、経済的節制という点で、非常に大きい存在意義を有しているのである。

その点では、僕は深く立ち入らない論点であるが、柔道整復師や按摩マッサージなど、医療以外の産業における保険請求というのは、医療界の一つの課題になっている。

 

 

ともかくそのようなわけで、よく「あの名医は」「医療サービスを向上せよ」「あの医師を変えろ」的な報道があるが、何を言っても医師がいないと保健医療は成立しない

それなのに、より良い医師、より良い医療を求めた結果、今いる医者を追い出してしまい、地域から看護サービスや介護サービス薬剤処方までが、丸ごと消し飛んだ事例がアチコチにある。

医療というのは決して自然に存している公共サービスではなく、医師など医療資源に該当する人たちが「たまたま」いらっしゃることで、偶然成立しているようなものだ

その内容についてモノ申す方は、いなくなれば簡単には戻ってこないという、そのシビアな現実をしっかり理解していただきたく、警鐘を鳴らしたい

 

別に一般市民が「もっと良い医療を」、という青臭いシュプレヒコールをあげるのは構わないと思う。

しかし、都道府県・区市町村など地方の議員・政策担当者など、一見権限があるっぽい人たち(実際は、医療の人事には一切無権限)が、その青臭いシュブレヒコールをあげた結果、地域医療が苦境に陥いる場面を見かける。

有権者の得票や市民の目を気にして、医療者を叩いて、医療が半壊して、それでも当の本人たちは「医療のために頑張った」などと言い放っていることもある。

医療に物申そうという方々には、いま地域にいる医療従事者のマインドが高まるような形で、言葉を放ってほしいと思う。

 

ともかく、日本の医療制度は、良かろうと悪かろうと、医師を頂点にしたピラミッド状の資格関係によって成立している。

実際の組織の統制上も、医師がいないと成立しないし、診療報酬の請求や都道府県への届出など、公的形式面においても、医師抜きには存立しえないのである。

 

 

さて、医療コンサルというテーマの中で、なぜこんなことを書いたかというと。

僕らが医療界のど真ん中を歩く上で、一番気にしている点が、ここだからである。

 

我々部外者が「こっちの診療報酬を取れ」と指摘するのは簡単だが、それを実践するのは医療者たちである。

その疾病に対し、その医療行為を実施していいのかどうか考えるのは、医師や医療者たちである。

我々部外者が「医師・看護師の人件費率が高い」などと評論するのは簡単だが、それを聞いた医療者たちがどんな就業行動に出るかは、想像もつかない。

そのように、コンサルタントと自称する者の迂闊な発言によって、地域医療が危機に陥った例は、枚挙にいとまがない

 

 

コンサルタントは、明日名刺に印字すれば名乗ることができる。

しかし、そんなコンサルタントが有資格者である医療者たちに対して、存外大きい影響を与えていることがある。

だから、我々事務屋がコンサル業務で医療現場に入るときには、相応の覚悟と結果への想像力が求められるのである。

 

岸野康之 拝

医療コンサル(4)ヒアリング

最近はコロナに関する真実の情報、五輪に関する諸情報が、ない交ぜになって流通している。

僕は何でもかんでも開けっ広げに議論すればいい、というものではないと思うし、日本人の島国的な慎み深さは嫌いではない。

しかし、このコロナ政策では生計を奪われ、生活の先行きが見えない人をたくさん生み出しているのだ。

コロナ、五輪に関しては慎みなどせず、もっと声を大にして、是々非々でジャンジャン議論すべきである。

 

 

さて、会計の世界に入って初めてのまとまった仕事は、北陸にある公立病院コンサルであった。

F井総研にいたという先輩に連れられ、「コンサルタント」と記された名刺を持ち、コンサル業務に着手した。

 

ここで、その後の職業人生の基礎となる様々な経験をしたのだが、もっとも印象深かったのが「ヒアリング」である。

 

先輩から、約500人超の職員のうち、200人近くの職員から「ヒアリング」を行うように命じられた。

医療機関など初めて触れるし、医師・看護師・ほかスタッフなどと、何を話して良いか分からない。

大変なムチャ振りであるが、とりあえずやってみることにした。

 

ヒアリングで、そんなにテクニカルな質問を投げたり、医療技術的な話を聞くわけではない。

「この病院のいいところと、悪いところはどこですか?」

「あそこに立っている銅像は、誰のものですか?」

「どこの大学から来ているのですか?ほかに行きたい病院はありましたか?」

と、とても日常的で簡単なことをお聞きする。

 

このヒアリングというのをやっていて面白い、と思ったのは、お相手があるゾーンに入ると、

全てあちらから、聞きたいことをお話してくださる」ことだ。

こちらから聞き倒して聞き出す、という方法だとたいがい「時間切れ」になり、聞きたいことは聞けずに終わる

 

お相手が、自分でいろいろお話したくなるための、環境整備を行うのが、我々のヒアリングである

 

最初の仕事からそういう核心に気付けたのは、先輩も大して経験がなく、僕に至っては「会計も医療も未経験」の完全ド素人だったからだと思う。

明らかな完全ド素人コンサルが、プロの医療従事者たちから様々な意見を聞ける、というのは面白い発見であった。

 

 

この北陸の病院でのコンサルは、実は僕が就職した税理士法人で、初めて入札で落とした案件だったらしい。

そこに、未熟な先輩と完全未経験の僕が送り出された案件で、そんなコンビが作った提出成果品は、とても残念な内容だった。

しかし、とにかくこのヒアリングというのは、何物にも代えがたい経験となった。

そしてその後、多くの病院コンサルやM&Aに従事する中で、1病院につき100人単位のヒアリングを、一人でこなしていけるようになった。

 

多くの方とヒアリングしていると、中には日頃の怒りをぶつけたり、僕の未熟やアラを責めたりする人も、当然いらっしゃる。

しかし、どれだけボコボコにされても、スケジューリングしたヒアリングは継続されていく。

空手でいう「百人組手」みたいなものだ。

ヒアリング業務で責められ続けて心が折れて、大手コンサル会社を退職する人もいるそうだ。

 

 

しかしヒアリングというのは、こちらが聞きたいことを「聞きにいく作業」でなく、「話していただく」作業だ。

怒りとか責めとかを含めて、お相手が口にしたあらゆる言葉の中に、「こちらが聞きたいこと」のヒントが詰まっている。

そしてみんな、話したいことを山ほどお持ちになっており、その話したいことの中に、たいてい僕らた聞きたいことも混じっている。

それはコンサル業務だけではない、相続の仕事でも、医療法人の経営会議でも、みんな同じことだ。

そのことが分かってからは、何を言われても、全てが情報の宝庫であると思えるようになった。

 

 

因みに、有名なコンサル会社メディヴァの代表・大石佳能子氏も、医療コンサルを始めるときに、大量のヒアリングから始めたと仰っていた。

それにより、最初から医療現場の知識の蓄積がはじめられた、とも仰っており、僕自身、その点についても上記の経験からとても得心がいった。

 

 

聞くこと、聞く力、ヒアリング。

ここに、あらゆるコンサルテーションの基礎があると、確信している。

 

岸野康之 拝

閑話休題 ~デューク東郷 ワザと軍勢~

ワザは一つが良いか、それともワザは多彩が良いか、軍勢を有するべきか。

なかなか難しいテーマだが、僕は「戦い方」「戦う場所」で、その答えは変わってくると思う。

一つのワザを鍛え貫いてこそ勝てる舞台や戦場はあるが、逆に多様なワザや軍勢を要求される戦場も、当然あろう。

ビジネスで生きる人間は、ある段階からは後者の多様さが求められると思う。

 

デューク東郷(ゴルゴ13)は、肉体による格闘、銃器や武具による戦闘、知識・語学・記憶力、そして夜の技・・・

あらゆるワザを使って、何をしているかというと。

「おれは、一人の軍隊だ」

と、彼は述べている。

そう、彼が様々なワザを会得して実施しているのは、一人軍隊としての戦争である。

 

彼の本業は、ライフル等による狙撃を用いた、標的の制圧である。

しかし、最期にターゲットを仕留めるのは、スナイプ(狙撃)力であるにしても、それだけでは、標的に至ることができない。

語学や夜の技も伴って、初めて情報戦を制し、巨大勢力をかいくぐり、最終標的に接近する。

近すぎる敵に対しては銃器より素手による攻撃が有効だから、武術や肉体が役に立つ。

そして標的を捉えるものの、待つことが必要であれば何十時間も動かず構え続ける、精神と肉体の強靭さをもっている。

目的達成のために、これほどまでに、個の力を高め続けているのである。

 

一方、彼について特筆すべきは、自分一人の力だけでは無く他人と共闘しているところだ。

そのネットワークは、デューク東郷という強力な武力を活かすための、目に見えない軍勢であると言える。

まず、彼を信頼し、また彼に協力する世界的な(細々とした)情報ネットワークがある。

依頼者たちは、様々な特殊経路から彼を探し当て、表に露見しない形で彼に依頼をするのである。

また、あらゆる銃火器の調達については、世界中に気心が知れた(?)武器職人たちがいて、適宜注文に応じてくれる。

 

そして彼には、職業を通じて貯めたカネがある。

カネがあるから、惜しみなく先行投資をして、また充実した移動や調査ができるし、ネットワークを維持できる。

そしてすごいのは、莫大なカネを有しているものの「それを失うことを(ある程度)恐れていない」という点だ。

たしかに、僕のような超小物でも、ちょっと諭吉さんが増えただけで「消えないで、諭吉さん」という臆病心が湧いてくる。

彼はその意味では、最終的には様々な部分で「捨て身」であるからこそ、常に死地に立てているのではないか。

(この点は、異論も反論もあろう)

 

 

僕の場合は、デューク東郷でいうライフルが、税務であり税理士の看板である(百発百中でないので、お恥ずかしいが)。

ただどんな職業でも、銃弾やライフルだけたくさん背負っても、ターゲットに到達できなければ意味がない。

ライフル(商品)があっても、それをターゲットに当てるためには、他のワザや軍勢が必要になってくる。

 

税理士が、あとから別の資格をまた取得するのも、有効なワザの会得である。

ただ、武器を二つ以上持っても、使いこなさなければ意味はない。

刀のほかに短銃や手裏剣を持っているなら使いようもあるが、二刀流となると、敵を切るには相当な鍛錬が必要だ。

僕は、短銃や手裏剣としての相続診断士など民間資格を有しており、戦場において大変重宝している。

 

税理士がコンサル技術を有しているというのは、僕自身の実感として有用なワザのmixだと思う。

税務が刀とすると、コンサル技術は盾とか馬とか、足さばきとかに該当し、刀と組み合わせやすい装備になる。

他にいまさら弁護士や看護師の資格を有するより、よほど使い勝手がイイ。

ただこの技術は、ある時期に修得のために膨大な経験を積んで、会得する必要がある技術である。

 

一方、自らのワザを活かすために軍勢を有することは、もちろん必要である。

職員を雇用したり、外部に業務提携のネットワークを構築したり、ホームページを作ったり。。。

そういうものがあって、初めて自分のワザを活かす場所を見出すことができる。

 

 

 

そんなわけで、自分のワザをどう活かすか考える上で、デューク東郷のあり様はとても参考になるのである。

 

最後に、「ゴルゴ13を部下にする」という生き方も、当然あるのだろう。

ビジネスを規模で拡大したいと思ったら、そういう猛獣使いの要素も必要だろう。

 

ただ僕は、ビジネスとしての合理性以前に、デューク東郷を配下に置くよりも、自分がデューク東郷のようにありたい性格である。

(へんなblogになった)

 

岸野康之 拝

医療コンサル(3)コンサル業務に気を付ける

今日は、前回紹介した4つのコンサル類型について、ユーザーの立場から気を付けたいことを書いてみたい。

 

 

1 結果型コンサル

 

結果型コンサルにも、いろいろな種類がある。

 

業績改善のコンサルで、「業績をよくする方法を教える」のか。

コンサルタントが自ら「業績を上げるべく辣腕を振るう」のか。

 

人材育成なら、人材をあるレベルに持っていくことを確約するのか。

人材育成のための研修会を、何度か開くくらいなのか。

 

医療機関開設の仕事であれば、淡々と確実に手続すれば、普通に開設できるものと。

全てのノウハウと物量を駆使して、なお成功率50%以下、というものもある。

 

これからコンサル導入を検討する団体は、同じ結果型でも、「どこにフォーカスするか」を明らかにした方がいい

 

蛇足だが、僕は前職場、前々職場でヒヤヒヤするタイプの、結果重視の仕事をたくさんさせてもらった。

勤め人時代のその経験は、独立事業者として自分の責任で仕事をする上で、本当に役立っている。

これからも引き続き、常に結果にフォーカスした業務を、有していたい。

 

 

2 併走型コンサル

 

併走型コンサルというと、税理士や保険パーソンなど、併走できる人たちが、意外に併走していない

でも、併走できるのにしない人たちの、気持ちもわかる。

 

① 併走するには、あまりにもフィーが安い。

② 併走すると、アレコレ範囲外のことを山ほど聞かれて、思わぬ責任を背負いこむ。

③ 併走し続けると、自分の弱点が見えてしまう。

 

僕は上記②③は克服し、大概の件は「楽しめる」ので、①をクリアすれば業務に入れる。

しかし、慣れても楽しめても、クライアントと真に併走するということはエネルギーを要することだし、ときに大変な苦しみを味わう。

よく「お客様に寄り添う」という言葉があるが、本気で寄り添っている人は、この苦しみも味わっているはずだ。

 

実はクライアントに併走し続けるコンサルというのが、最も求められており、そして最もタフな業務であると思う。

 

 

3 成果品型コンサル

 

コンサルの成果品の中身は、高度で実務的なものから、ネットコピペで作成した何の役にも立たないものまで、ピンキリである。

 

有名なコンサル会社が、新入社員に紙クズのようなレポートを作らせて(見た目だけ立派)、堂々と提出している例は枚挙にいとまがない。

また、世界的な大手コンサル社は、内容は高度だが、「一応説明したので、あとはよく読んでください」となり、委託した側に読んで理解できる人がいないという悲劇もある。

 

そして、大手コンサルから専業コンサルまで、様々な団体が膨大なレポートを提出、機械的に内容を説明し、最期に数千万円の請求書を残していくのである

そうした成果品の残骸を、あちこちの病院で見てきた。

 

成果品型は、例えば病院の新築計画や人事フローの作成などを、技術的経験やノウハウにより形成されるものを委託するものは、有効である場合が多い。

しかし、経営改善のように結果が読みにくい事案になると、コンサルは「これをやれば良くなりますよ」というレポート作成に注力して去って行きがちだ。

そういう成果品にも、例えば発注者の自治体が、市長や議会に「コンサルにやらせてます」と言う証拠作りなど、役立つ場面もあるにはあるが。

 

とにかく日本はハコモノ文化があるせいか、コンサルに成果品という「ハコ」を求めがちだが、それが真に目的達成に繋がるかどうか、よく検討していただきたい。

 

 

4 紹介型コンサル

 

いま、医師や看護師の紹介会社は〇兆円産業とも言われているらしく、これらを紹介型コンサルという場合もある。

ただ、そのように紹介を真の「業」とするならともかく、本業と別に口利き程度で紹介フィーを取る者は、「ただのブローカー」である可能性がある。

利用する側も、人や会社を紹介してフィーを得るコンサルが現れたら、その素性、背景をよく確かめることだ。

有料による紹介は、有料だから良いものとは限らず、おカネのためにヒドイ商品を充ててくる可能性がある

 

 

最期に一点。

コンサルで失敗している団体は、コンサル慣れしていないから、たまに会ったコンサルに飲まれてしまう。

「この人たちは、他のコンサルを知らない」

と思われたら、足元を見られて、訳の分からぬ分析レポートや研修会を売られてしまうかもしれない。

しょせんコンサル費用など、例えば一社A00万円のコンサルを三社使ってもB00万円、間違って採用した職員一人の人件費程度だ。

日頃から、様々なタイプのコンサルを、試しで使い、付き合って、情報を得て、膨大な対話を重ねてみて。

良いコンサルタントと付き合うようにし、またいざというときに、失敗しないようにしていただきたい。

 

岸野康之 拝

医療コンサル(2)コンサルタントの種類

コンサルトconsult とは、「相談する」「諮る」という意味らしい。

だからコンサルタントは、直訳すれば「相談相手」ということになるのかもしれない。

そう思うと、それほど複雑な話ではなく、明日からコンサルタントを名乗っても、しっかり相談相手になれればそれで良いと思う。

 

 

1 コンサルタントとフィー(対価)

 

それを職業としてフィー(対価・おカネ)を得ようとしたときに、問題が出てくる。

少なくとも我が国では、コンサルタント料、カウンセリング料、相談料・・・

名目はともかく、そういう無形のサービスに対価を支払うという文化は、あまり無い気がする。

僕もそれで散々、辛酸を舐めてきたし、良質なコンサルサービスを提供する仕事仲間も、その点で苦労している。

 

その点、外国のことは知らないが、少なくともアメリカなどはコンサルにお金を支払う文化が確立しているのだろう。

映画やドラマを見ていると、公共機関は常にコンサルタントと提携していたり、少しでも変化があればカウンセラーが登場する。

しかし、日本でコンサルタントとしての活動を目指す人は、日本に合ったやり方を工夫していった方が良い気がする。

 

 

2 多様なコンサル業務

 

コンサルの意味が「相談」であっても、実務には様々な形がある。

 

(1)結果型コンサル

「業績改善をしてくれ」「社内改革をしてくれ」「議会を説得してくれ」「合併を成功させてくれ」・・・

などなど、結果にフォーカスしたコンサル業務というのがある。

僕の行っているものでは、民間・自治体の出資問題の解決、議会対策、相続対策、経営譲渡、新病院建設、などがある。

結果にフォーカスしたコンサル業務は、僕が本来志向していたもので、非常にキツイが楽しい、花形仕事だと思っている。

 

(2)併走型コンサル

月契約、年契約などで、定期・不定期に通って経営会議に参加したり、課題を一つずつ片付けていくスタイルである。

これこそ、コンサルトの語義「相談」に一番近い形なのだろう。

僕の場合は、すでに顧問税理士がいらっしゃる病院に、医療独特の税務や、税務に一切無関係な課題で、通うことが多い。

実は、これが一番求められているコンサルで、企業も病院も個人も、「併走して見ていて欲しい」というニーズを常々感じる。

 

(3)成果品型コンサル

簡単にいうと、様々な調査をした結果などを報告書にまとめ、それを納品してフィーを受取る、というスタイルである。

僕は開業前、特に修業期前半5年くらいは、カッコいい成果品を作るのがコンサルの基本と考えて、成果品型コンサルに血道をあげていた。

しかし、良いコンサルをした上に素晴らしい成果品があればパーフェクトだが、成果品作成にハマると、そこが目的になってしまう

初期には、それで失敗したり不十分な業務になったこともあった。良い修業には、なったのだが・・・

なので、ある時期からは上記(1)結果型(2)併走型 、を基本として「成果品は添え物」と位置付けることが多くなった

 

(4)紹介型コンサル

必要な時に必要なプロフェッショナルを紹介する、という動きをする方々がいる。

これを半ば生業として、フィーを受けたり恩を売ったりする人もいるが、紹介というのはやり方一つで信頼を失うので、気を付けたほうが良いと思う。

僕も業務上の成り行きで、自分にできないことできる専門家をご紹介することがあるが、フィーを受取ったり紹介を仕事にすることはない。

 

 

さて、次回はコンサル業務それぞれが持つ、長所と短所についてお話してみたい。

 

岸野康之 拝

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