税理士 岸野康之 事務所のブログ 一覧
民間医療機関の世界(4)地域包括ケアシステム
1 地域包括ケアシステム
地域包括ケアシステム、という言葉が浸透して久しい。
読んで字のとおり、高齢者などの皆さんを、地域で包括的にケアしていくシステムである。
昔の医療福祉の流れは、家庭で生活していた人が、病気になると病院に入り、そこで最期を迎えるものであった。
あるいは、家庭にいた人が老人ホームなどで生活するようになり、やはりそこから病院に入り、最期を迎えるという感じであった。
そういう病院や施設の機能自体は、いまももちろん、変わってはいないのであるが。
この少子高齢化社会では、まず高齢者が病院に入ることになる。
受け入れた病院は、いまの診療報酬体系(医療費削減の流れ)の中では長く入院させられないので、老健などに移ってもらうことになる。
老健も長くいさせられないので、特別養護老人ホームや介護医療院に入り、そこで最期の看取りをしてもらう。
あるいは、病院 → 老健 → 自宅 と移り、その自宅で在宅介護等を経て、看取りをしてもらう。
このように、病院で最期を迎えるのではなく、病院から施設に戻り、または家に戻り、そこで最期を迎えることを国が推奨する。
地域包括ケアシステムとは、(ある側面に光をあてると)そうして医療、福祉、自宅(在宅)をシームレスで途切れなく循環させる、国の施策で構築された仕組みである。
2 地域包括における官と民の役割
いまや、全国の至る所に地域包括ケアの仕組みが行き届いている。
国が推奨するシステムだから、一見すると、国や自治体の機関が中心となって形成している感じがする。
確かに、まず国が様々な規則や自治体への指導を通じて、医療福祉の「総量規制」を実施している。
続いて、やはり国が、診療報酬体系や介護報酬体系の整備・改定を通じて、急性期病院 → 回復期などの病院 → 老健、特養 → 自宅(在宅)という流れに政策誘導している。
さて、その政策誘導をいち早くキャッチして回復期の病院、老健・特養、あるいは在宅医療や看護などを実施するのは、民間の方だ。
民間医療機関や社会福祉法人が、診療報酬や介護報酬で採算が良いパートに設備投資をして、国の政策誘導に乗って展開していく。
そうして瞬く間に、各地域ごとに民間の医療機関、福祉施設による地域包括ケアシステムが確立していくのである。
さらに、その地域内の地域包括ケアシステムを、ある特定の医療福祉グループが自らの施設だけでほとんど完結させているような事例も多い。
そういう民間グループでは、基幹病院を退院した患者が自グループの老健、特養、他の福祉サービスに移っていく流れを確立している。
そして少しでも多くの患者・利用者が、自らのグループでワンストップで医療福祉サービスを提供できるようにしているのである。
3 地域包括ケアモデルの転用は
日本の医療政策は、いろいろと課題は多い。
しかし、この地域包括ケアシステムの構築について賛否はあろうが、次の点において(珍しく)成功例であるように思う。
(1)国の狙い通りの形が、各地域の様相ごとに早々に構築された。
(2)高度急性期→一般急性期→回復期→慢性期→施設→訪問・在宅 という報酬による利益誘導通りの人の流れが形成された。
(3)公共にしかできないこと、民間にしかできないことが、結果的にキレイに区分、機能分化された。
高度な医療などは国、自治体、公的病院等が担って、それ以外の民間グループが身近な医療福祉を担う、という機能分化は、経済構造としても効率的だ。
僕は、この仕組みを構築した方法論の応用で、救急拠点や産科拠点の復活もできないものか、とよく考える。
高齢化の勢いが凄まじいので、かなり大胆に、医療から介護への流れの組み換えを行ったわけだが、少子化の勢いもまた凄まじい。
少子化対策のパートに、同じ地域包括ケアの発想を入れて、「お産から学童保育までをシームレスに」などできれば、医療福祉資源も大変助かるのではないか。
そういう仕組みの転用が、大変苦労されている産科医や、複雑な社会で子育てする親たちを助ける仕組みになる可能性もある。
医療福祉の連携では、報酬制度による大胆な政策誘導をしているわけだから、少子化対策でも同じようなことができないものか、と思うがどうであろうか。
岸野康之 拝(本日重量 84.7㎏(脱衣) 2021年2月21日 89.3㎏(着衣))
民間医療機関の世界(3)事務長
医療機関は、医師が医療をすることで、初めて成立する。
看護師がどれだけ多くても、事務局がどれだけ優れていても、医師がいなければ医療機関は存立しない。
この当然で単純な事実が、意外に軽んじられやすいので、僕は議論・会議等でこの基本原則を述べる機会が多い。
ところで、その医療行為を支える医師が充足しているという前提に立つと、続いて大切なのが事務長だと、僕は考える。
医療体制上は、医師に続いて看護師・薬剤師、ほかコメディカルの皆さんの存在が、当然重要になる。
しかし、医療機関が一定規模以上になっていくと、その収支を事務的に統制しながら運営する、事務専科の人間が必要になるのである。
以下、僕が感じている事務長「像」について、徒然なるままに書いてみたいと思う。
1 内部で事務長になっていく人たち
大学病院、日赤等の公的病院など、全体として組織が確立している医療機関では、事務局内で「昇格人事」がある。
もちろん引き抜きや転職組もいるが、若い時期に入社して定年まで病院事務局で働く人たちがいて、そうして事務長になる人たちがいる。
そういう事務長たちと仕事をすると、とにかく医療運営の隅々までよく知っていて、舌を巻くことが多い。
一方、そういう方の中には、50代などになって他の病院に「腕利きとして引き抜かれる」方がいる。
ところが、技術的、経験的に素晴らしいものがあっても、行った先の病院で、思うように力が発揮できず去っていく人を、何人も見てきた。
医療機関は人的、構造的、そして医療機能の個別的「個体差」が非常に大きいので、力を発揮できる場所とできない場所が、はっきりしてしまうのだろう。
この点については、異動する側も引き抜く側も、しっかり了解したほうが良い点であると思う。
2 銀行から事務長としてくる人たち
全国的に、銀行出身で病院事務長になる人はかなり多い。
その中でも、大きく次の二つに大別される。
(1)ある年齢になり、転籍人事でやってくる方
銀行である年齢や肩書になって事務長としてきた方は、僕の経験上、次のように分かれていく。
① 元金融マンだけあり、その優秀さを発揮される方
② 事務長としてはイマイチだが、銀行取引を有利に運んだり、病院内に同行出身の派閥を作るのに長けている方
③ 何の用も果たさせない方
医療機関は、金融マンが金融時代の経験をそのまま生かせるほど、単純ではない。
そこを錯覚している方は、かなり早い時期に現場でハレーションを起こしたり、トップに見放されている。
僕は彼らを見ているといつも、「一年生になったつもりで頑張って欲しい」と思う。
基本的な素地は優秀なわけだから、それが医療現場で力を発揮する、一番の近道なのだ。
(2)若いうちに、病院のオーナーなどに引き抜かれた方
このタイプの銀行出身者は、僕の経験上は有能な方が多い。
金融構造や銀行など大組織の仕組みを知りつつも、銀行出身であることを鼻にかけず、新しいことに取り組む力がある。
そういう事務局長たちは勢いと謙虚さを併せ持っており、一緒に仕事をしていて、大変学ぶことが多い。
また、こうした事務長たちは色々なセクションを、横断的に動き回る傾向がある。
実は病院のように職制が固定的な組織では、固定のセクショナリズムに囚われない動きをする事務職の存在が、極めて重要になる。
そういう方が1、2人いるだけで、組織の成長速度が変わると言っても過言ではない、非常に重要な存在である。
3 役所から来る事務長たち
県庁や市役所から下って来た事務長たちは、民間ではなかなかハマらないのをよく見かける。
役所の論理が通用しない、という話だ。
しかし、ハマろうが外れようが、地域の役所から天下り事務長を迎える慣行がある公的病院も多い。
それはそれで、ある種の機能を果たしているわけだが、現場としては悩ましいものも多いようだ。
ところで、時々、天下り事務長がドはまりして、うまく行っている医療機関もお見掛けする。
もともと、事務屋をさせたら公務員の方は、とびきり優秀だ。
同じ役所に居続けると、人事ローテの中で有能さが埋もれがちになるが、ピンときたらデキるのは役所出身の方である。
民間医療機関で役所の方を登用するときは、その優秀さを、ぜひ引き出すように頑張って欲しい。
4 職業事務長
これはここ数年で知ったのだが、いくつかの病院、クリニックの事務長を掛け持ちする「職業事務長」がいらっしゃるのだ。
これは大変貴重な存在であり、いまクリニックなど小規模医療機関の世界では、一番求められている存在でないか、と思った。
事務長自体が、そもそも当たりハズレがある。
しかも小さいクリニックでは、その当たりハズレがある事務長に人件費を投ずるのは、なかなか大変なことだ。
それが週に1、2回来る契約で働く事務長がいてくれたら、こんなに便利なことはない。
僕が知っている所では、週に一回来て、書類整理や事務事項を済ませているが、それだけでなく、クレーム処理や労働問題の対処も行う。
それがまた、あちこちで同じことをやっているから、大変腕が良いのだ。
僕はひそかに、この職業事務長を育成する仕組みを作りたいと思っている。
5 メーカーや製薬会社出身の事務長
僕は、このタイプの人たちは、あまり多くは知らない。
ただ時々ご一緒したり、噂を聞いたりすると、内容や評判がよろしくないことが多い。
給料がいいという理由だけで移って来たとか、リベート目当てだったとか、自信満々だが威張りん坊だとか、、、
もし、これを読んでいて「おれは違うぞ!」という方がいたら、よそで苦労している似た出身者の方に、色々教えてあげていただきたい。
とにかく、事務長は医療機関のキーになる存在である。
「いい事務長はいませんか」というのは、お会いする理事長たちとの挨拶言葉のようになっている。
ただ、決して「でき上っている良い事務長」など、その辺にいるものではない。
受け入れる側も、事務長になる側も、初心に帰って一から教える、一から学ぶの気持ちを持つことが、どうも一番早道であるように思う。
それは、ある年齢から医療の世界、会計の世界に一から飛び込んだ、僕自身が身に染みている実感でもある。
岸野康之 拝(本日重量 84.8㎏(脱衣) 2021年2月21日 89.3㎏(着衣))
民間医療機関の世界(2)職制、役職など
1 医療職の役職と呼称
医療職の役職者の呼称は分かりやすく、公民の区別なく、医療機関全般で共通している場合が多い。
・院長 → これは法律上の管理者で、医師が就任する唯一無二の役職である。
・看護部長 → 文字通り看護部トップ。地域により総看護師長などと呼ばれることも。
・薬剤部長 → これも文字通り。薬剤部を「薬局」と呼ぶ場合は薬局長になる。
その他・・・
あとは医師なら副院長、各診療科の長である「科長」「医局長」など。
看護師なら看護師長や主任、チーフなど。
ほか、医療職ごとにセクションや役職が設定されることになる。
2 事務セクション
ところで、医療機関では「医療者以外」の人口比率は、まず病院では、だいたい10~25%といったところだろうか。
これは病院の性質や、「警備や給食などの外注度合い」などによって異なるから、幅がある。
規模が小さいクリニックだと、受付や医事職員などの事務系が、全職員の半分くらいを占めることも多い。
ともかく、小さいところで半分、大きいところになるほど事務職員比率は減っていく(感じ)。
いずれにしても、事務セクションというのは、医療機関では少数派になる。
ところが役職の呼称は、医療職よりも事務職の方が多様だ。
いや多様というより、医療機関によってバラバラというほうが、正しいかもしれない。
医事課、医事職員くらいは、だいたい統一的であるように思う。
しかし、財務課、経理課、総務課、庶務課、用度課、物品課、調達課、事務課、給与課、渉外、などなど、あるところも、ないところも、実にさまざまである。
3 事務長
そんな事務セクションの中で安定した呼称として、医療機関の世界には、「事務長」という言葉がある。
僕は、医療の世界に入った時にこの言葉を初めて聞いて、「へー、そういう言葉があるのか」と思った。
その後、事務長は医療の世界だけでなく、学校の事務局など公的なところでは結構使われる呼称である、ということが分かってきた。
一般的には、事務職の長は「事務長」と呼ばれる。
しかし事務長一つでも、「事務局長」「管理部長」「総務部長」など、呼称は様々なである。
例えば院長や看護部長であれば、「職制上の位置や役割」は明確に分かりやすい。
しかし、事務長と名がつく人が、「事務職の長」とは限らない。
理事長の奥さんの方が事務長より偉いとか、事務長の上に事務局長がいたり、事務長の上に「相談役」「専務理事」「顧問」などがいる場合もある。
事務長は単なる事務のとりまとめ役であり、その上で財務部長、総務部長がマネジメントしている場合もある。
事務長というと、あたかも「全ての事務を知っている」ように見えるが、事務長は一切事務をせず、他のスタッフの事務を統括する場合も多い。
それが効果的な場合もあるし、そうでない場合もある。
事務長というのは、医療機関の構造や風土で役割が変わる、とても一言で語れない仕事であると思う。
僕は、もちろん医療機関の全ての皆さんに貢献したいが。
その中でも同じ事務屋として、事務長の皆さんの辛さやジレンマがよく分かるから、特に事務長の応援団でありたい気持ちが強い。
そんな前提で、次回はこの「事務長」の存在にもう少し迫り、整理したいと思う。
岸野康之 拝(本日重量 85.8㎏(着衣) 2021年2月21日 89.3㎏(着衣))
民間医療機関の世界(1)同族経営が多い事情
理事長、副理事長、関連団体のトップ、社員、理事、などみんな同族という医療機関は多い。
そもそも、日本の民間医療制度そのものが、(僕の私見では)次のような部分から、同族経営を前提として成立していると見て取れる。
(1)社員制度
厚労省は医療法人に「非営利性」を徹底させたいので、近年、役員の責任と権限や利益背反の追及などを強化している。
医療法改正の都度に、理事や監事、理事会そして医療法上の提出書類などを通じ、ガバナンス整備を浸透させようとしてきている。
しかし、役員制度はいろいろ動かすのだが、「社員制度」にはほぼノータッチである。
平成28年度の医療法改正と併行して行われた社会福祉法改正では、ズタズタになる社福が出るほど、評議員、役員制度にメスを入れた。
しかし、医療法人制度では「同族社員による統治」という点には、一切触れないで改正を終えたのである。
(2)医師による経営を前提とした法律
医療法では、院長(管理者)が医師であることはもちろん、医療法人の理事長も原則は医師、とされている。
これには非医師理事長の規定や、医療法人以外の法人の理事長など、いくつか例外はあるが。
ともかく医師でなければ経営ができない法律である、ということは、「事業承継」のときの最大のキーになる。
普通の民間病院、クリニックであれば、簡単にどこかから継承者を連れてくることはできない。
医師の事業承継をマッチングさせる仕組みはあちこちにあるが、目先の条件は折り合っても、その場所で地域医療に身を捧げる医師を連れてくるのは、容易ではない。
そうなると、同族から医師を輩出するのが自然であり、手っ取り早く、一族の財産保全の面から見ても安心である。
そういう法律と開業医たちのマネジメントがあるから、厚労省がどれだけ「非営利性」を叫んでも、医療機関の同族経営は、簡単に揺らがない。
(3)社員と出資 ~制度設計の誤謬(かな)~
実は医療機関の経営陣も、誤って理解されている方が多いのが、この「社員と出資」という論点だ。
医療法人などを作った時は、たいてい、最高意思決定機関である社員総会の、構成員である社員が「出資する」。
ただ社員が3人いても、うち一人だけ出資している、ということも多く、その時点ですでに「社員=出資者」ではない。
そう、ここが株式会社と全く違う点だ。
会社では、株を持てば持つほど強い株主となり、株がなければ発言権はない。
しかし医療法人などでは、出資していなくても「社員は一人一票」持っているし、山ほど出資した社員もまた、一票しか持てない。
さて時が流れて、出資した社員に「相続」が発生し、医療経営とは無関係な人たちが出資を持つようになることもある。
そして「社員のだれも、出資を持っていない」という、おかしな状況が発生することがある。
それでも、社員が存在していれば、出資者がいなくても経営は成立してしまう。
ところが余談だが、国は決して一番最初から「社員と出資者は違う」前提で、制度設計したわけでないようだ。
例えば定款を読むと、「社員は・・・出資の払い戻しを請求できる」などと記載がある。
法形式の部分では、社員と出資者は一応イコールである、という前提で制度を作った節があるのだが、現実は合致していない。
経営権と財産権が分離されているが故に、安定が保てている面はあるが、逆に出資の買取請求など、不安定さをはらんでいる面もある。
僕は、そのように制度がねじれた原因は、医療法成立の昭和23年当時の制度設計と、医療機関の公的役割が注目されはじめた昭和40年頃の、政治介入にある気がしている。
これは特定医療法人制度の成立と併せて、別に書いてみたい論点だ。
(4)現・認定医療法人制度に見る「同族組織の容認」
相続税法をはじめとする国税の法律では、役員に占める親族の割合が「1/3以下か、否か」を、公益性の判定基準の一つとしている。
厚労省ではそれを準用、援用して社会医療法人、特定医療法人など各種医療法人制度の制度設計をしている。
だから親族役員が1/3を超えていると、社会医療法人や特定医療法人には、組織替えできない。
ところで6年前にスタートした「認定医療法人制度」は、出資の相続税問題を解決する決定版としてリリースされたが、大変不人気であった。
不人気の最たる理由は、上述の「役員に占める親族割合」を満たす必要がある点であった。
しかし、税法が「公益性ある団体には税を課さないよ」と言っているわけだから、そこは仕方ないのかと思うのだが・・・
国は、3年前の「認定医療法人制度・リニューアル」に際しては、この親族制限を撤廃したのである。
つまり同族経営で、その点で公益性とは程遠くても、税は免除できるようにするということになったのである。
この裏側で、国税庁、厚労省、医師会などの間でどんな綱引き、妥協があったのかは分からない。
しかし僕は、この件は国が「医療法人は同族経営が前提である」という公然の事実を、制度的に容認した瞬間であったと思っている。
ともあれ、民間医療機関は同族経営が多い。
医科大学であっても、オーナーは一族である場合が多い。
このことは平素の医療政策を考える上では、役人も我ら民間人も、常に脳裏に置いておくべき事項であると思う。
明日は、民間医療機関の「事務長」について確認してみたいと思う。
岸野康之 拝(本日重量 85.9㎏(着衣) 2021年2月21日 89.3㎏(着衣))
病院の事務局 (4)公共と民間の間にあるもの
さて、一昨日、昨日と公立病院の事務局を悩ます要素を、4つまで書いてきた。
今日は、最も大きい要素であり、かつ本質的、実務的なお話をしてみたいと思う。
5 民営化、法人化
(1)行財政改革の流れの中で
公務員になった方が、それ以外の何かになってしまうのは、恐ろしいことであるようだ。
会ってきた方々の多くは、全般的に、「民営化」「法人化」など、不安げに響くようである。
しかし、実際にある時期以降、我が国全体として「行財政改革」が着実に進んでいる。
まず、平成不況下で行財政改革が進み、医療界においては21世紀の小泉行革に前後して、「国立病院の立ち枯れ作戦」で始まった。
250近くあった国立病院の施設を統廃合して、委譲や廃止で150以下にしたのだ。
僕も昔から、委譲された元国立病院に関わる機会があり、最近も民営化した元国立病院で仕事をする機会があった。
そして国立病院の次は、やはり小泉行革の目玉「平成の市町村大合併」の旗印のもとで、「公立病院改革の時代」が始まった。
10年近くの間に、1000あった公立病院のうち20%以上が経営形態を変更したり、民間委譲されたりした。
この公立病院の動きについては、ここ数年は次の理由から、この辺りの大きな動きは少なくなってきているように思う。
(1)地方税収が比較的良好であったこと
(2)自治体の財政健全化基準が緩和されたこと
(3)真に脆弱な公立病院の改革は完了していること
しかし、地方を中心にコロナ不況が忍び寄る中で、また経営合理化の機運が高まっていくのでは、という気がしている。
(2)公共と民間の間で、息を吹き返す人たち
と、好きにいろいろ書いたが。
最後に書いた民営化などの話は、確か公務員の皆さんに忌避されやすいパートだ。
しかし、実は法人化や民営化の後の病院事務局には、本庁を離れて病院に残り、イキイキと働く人たちが、意外に多くいる。
僕もかつて事務局にいた顔見知りの職員さんが、法人化した病院に移動した後に、あまりに元気になっていて驚いたことがある。
またある公立病院では、いくら事務局が頑張っても業績が好転しなかったのだが。
「半分民営化」したところ、急に結果が出はじめて、それとともに事務局が明るいムードに大変貌していった。
単純に安定した公共の中にいた時より、「医療の質を上げる、業績を向上させる」という目的意識が、活力になっているようだ。
僕は、特に民営化論者というわけではない。
ただ、公務員の皆さんが、「議会」「行政ピラミッド」「市民の目」にがんじがらめにされて苦しむ姿を、たくさん見てきた。
公共の皆さんには、安定と引き5換えにはなるが、楽しい民間人の世界もあることを、教えて差し上げたくなることがある。
さて次回は、今度は民間病院の事務局について、書いてみようと思う。
岸野康之 拝(本日重量 85.4㎏(着衣) 2021年2月21日 89.3㎏(着衣))
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