税理士 岸野康之 事務所

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税理士 岸野康之 事務所のブログ 一覧

医療コンサル(9)財務コンサル、スポット税務

好きなマンガの作者が亡くなられたことで、3,4日の間、ロスってしまった。

ついついブログまで、マンガネタを3日連続で書いてしまった。。。

さて、この辺で気を取り直して、本来の税務・医療ネタに回帰しなければいけない。

 

 

1 財務コンサルと、スポット税務

 

僕の場合は、いわゆる病院・診療所の税務顧問の仕事と、病院に財務コンサルとして入る仕事とがある。

ただし、契約上は税務顧問だったり財務コンサルだったりしても、実際にご一緒してどんな課題が出てくるかで、お付き合いは変わってくる。

 

会計業務の契約だが、会計は経理課が全てやっていて、当事務所は専ら理事長の財産問題に取り組むお客様もあるし。

新病院建設の会議に参加することが主目的だが、スポットの税務処理を任されることもあるし。

資金繰りの点検に入った病院で、資金繰りの一環で、出資持分の放棄を実行することもあるし。

それはもう、様々だ。

 

基本的に、財務コンサルで入って先方に顧問税理士がいらっしゃる業務では、僕は依頼がない限り、税務には触れない。

しかしご依頼があったり、「実施したほうが良い」と思える税務処理がある場合には、顧問税理士と協力して取り組むことにしている。

 

 

2 業務メニュー

 

財務コンサルで入る仕事は、様々だ。

・用地買収、整地のための土地売買の手伝い

・相続対策、財産整理

・M&A、法人組織変更の準備業務

・新病院、新施設建設のための準備業務

・経営会議への参加

 

こうした業務に入っている中で、スポットの税務処理を請け負うことがある。

・出資持分の放棄

・消費税の監査・申告

・寄付金税制の活用、寄付講座設置

・その他、特殊な税法の適用

 

 

3 スポットで税務業務ができる環境とは

 

横から財務コンサルといって入って来た人間が、税務に手出し、口出しできる環境・条件とは。

いろいろあるが、とにかく最重要なのは経営者、顧問税理士、ほか関係スタッフたちとの「全体的なコンセンサス」に尽きる。

僕らと税理士だけ知っている、僕らと経営者だけ知っている、あるいは他の経理スタッフ等は全然知らない、というのは絶対だめだ。

 

この仕事をしていると、経営者とのコンセンサスだけで生命保険や商品を売って行く営業パーソンを、よくお見掛けする。

契約はそれでできてしまうが、財務経理担当や、顧問税理士に一切説明が無いので、あとでトラブルになっていることが多い。

税理士でも、一部のコンセンサスで物事を進めてしまう人がいる。

 

無論、全員のコンセンサスなど取っている時間がない急場も存在するし、僕もそういうときはトップ判断だけ仰いで実施する。

しかしほとんどの場合は、重要な業務決断になる上に、スポットで生ずるような税務などはただでさえ複雑である。

だからトラブル防止のためにも、こちらから会議や各決裁者に説明に回ったり、顧問税理士にご挨拶したりして、了解を取り付けて実行する。

 

 

 

税務でコンサルというと、「どうやったら一番税金が安くなるか」を指すと思われがちだが。

そんな目的ではセカンドオピニオンの関与はできないし、入っても大した成果は得られない。

税務と別に主たる目的をもって業務に入り、そこに税務という武器も常に磨き、携えておくという形が、クライアントからの信頼も得やすいし、広く深く見渡しやすいと思う。

 

 

岸野康之 拝

閑話休題 ~ベルセルク(漫画)③登場人物たちと人生~

3『ガッツ』(主人公)

 

(1)孤独と仲間

 

『ガッツ』は孤児で、傭兵団の中で育つが、幼少期に育ての親(傭兵の師匠)の裏切りにあって以降、基本的に自分一人で生きてきた。

 

それが、縁あって『グリフィス』と出会い、彼が率いる「鷹の団」に入団、そこで後の恋人『キャスカ』や仲間たちと出会う。

だが、剣一本で一人生きることへの渇望(?)から、そして盟友となった『グリフィス』と対等でありたい意地から、せっかく得た仲間たちと離れて、一人修業(放浪)の旅に出る。

結局1年もしないうちに、巡りあわせで一度鷹の団に戻るが、自分が抜けた直後に『グリフィス』が事件を起こし、その結果、団が半壊したことに自責の念を感じることとなる。

 

それから間もなく、仲間たち全員が『グリフィス』転生の生け贄となり、かろうじて自分と恋人『キャスカ』だけが生き残るが、ここでも彼女を人に預けて、再び一人で復讐の旅に出てしまう。

そして2年間の旅から戻ると『キャスカ』が失踪しており、ここで初めて『ガッツ』は「もう大切な者を失いたくない」という必死の思いに駆られ、以後、最後まで『キャスカ』を護りながら行動することになる。

 

 

『ガッツ』は、どうしても剣を握って、一人で行ってしまう。

本人も「なんでいつもこうなんだ」と嘆く。

分かってはいるが、何度も大切なものから離れて、手に馴染んだ剣に頼って生きてしまう

その不器用な意地や自分勝手さは、誰しもどこかに持っている、また人によっては、憧れているものでもあると思う。

 

この30年続く長編は、孤独に生まれ育った『ガッツ』が、大切なものを捨て、失い、そして旅路の中で大切なものに目覚めていく、心の旅の物語でもある。

僕は、そういう彼の不器用さ、自分の力だけで越えようとする更なる不器用さが、自分のあり様に照らして深く共感してしまう

その共感に、全てが上手くいかない時期に、ずいぶん励まされたものである。

 

(2)強さの心地よさ

 

『ガッツ』は生け贄を逃れた際に片目と片腕を失い、その後、失った片腕にボウガンと大砲を仕込み、残る腕で大剣を振るう。

魔物たちは一匹ずつがハンパでなく強く、最初は一匹倒す都度に重傷を負うが、無数のストリートファイトの中で武器を使いこなすようになり、生身のカラダで怪物たちと渡り合うようになる。

 

少年マンガでは、2年くらい修行するとレベル違いに強くなるのは、お決まりパターンであるが、『ガッツ』を見ていると、「よくぞ死線を潜りぬけて強くなった」という様子が伝わってくる

 

 

あいつ(『グリフィス』)に辿り着くまでの数え切れない夜がオレを叩き上げた

という彼の言葉があるように、僕も、仕事でも何でも、彼のように無数の闘いを経て強くなっていきたい。

 

(3)仲間と装備

 

手短に書くが、新しい旅の中では「(たぶん)元魔王」「魔導士」「風の剣士」「妖精」「弟子」など、従来の兵団とは異なる仲間たちに出会っていく。

また、その出会いによって、人外の者どもと戦い抜くのに必要な、様々な新しいアイテムや技術を獲得していくことになる。

 

肉体を鍛え上げ、仲間を得て、アイテムと技術を獲得し・・・

いつの日か「この世ならざる者となった」『グリフィス』と、邂逅することになる予定だったのだろう。

 

 

4『グリフィス』

 

『グリフィス』は幼少期から一貫して「城」が欲しかった、つまり王になるのが夢だった。

この姿勢は一貫してブレないのだが、唯一、『ガッツ』といるときだけは、この夢を忘れるのだという。

つまり夢を追うよりも、『ガッツ』という盟友を失いたくない気持ちが上位にくる、ということらしい。

だから『ガッツ』が鷹の団を抜けるときは必死に引き留めたし、それでも出ていったので、自暴自棄になって事件を起こしてしまった。

 

 

夢を追うか、友を取るか。

『グリフィス』は友を取りたかったようにも見えたが、そもそも、その友のほうが裏切って出ていったのだ。

裏切った友が、自分が復活できないほどボロボロになった局面で、戻って来た。

そんな場面で、悪魔たちから「仲間全員を生け贄に『捧げて』夢を追う」べき提案をされ、そこで友への情愛を断ち切り魔王となった。

 

そして転生した後、一度だけ『ガッツ』と再会した局面で、彼は言う。

『ガッツ』「お前はお前がやったことに、裏切った仲間たちに 何一つ感じちゃいないのか

『グリフィス』「言ったはずだ オレはオレの国を手に入れると お前は知っていたはずだ オレがそうする男だと

 

そう言い残したグリフィスの背を見ながら、『ガッツ』は「今度はオレが置いていかれたのか」とつぶやく。

 

 

 

この話は広大な時空と世界観で描かれているが、二人の胸中と行動は、我々も思い当たるものがある。

決して裏切ったわけではないが、相手方には裏切りと見えること。

裏切られた当人は、気持ちを切り替えすべてを捨てて、自分の夢に邁進していく。

そしていつの間に、それぞれは自らの行くべき道を全力で進み、互いを顧みることもなくなる・・・

 

壮大な世界観で描かれているが、これは人生である。

僕ら読者は、いつの間にか物語の結末というより、彼らの行く末を追い駆けるようになっている。

彼らの旅路の果てに待つもの、選択の末に到来するもの、それは何なのかを見たかった。

 

 

 

さて、散々書き散らかしたが。

作者は未完の大作を残したまま、志半ばで急逝されたが、それでもこのお話についていえば僕は三つ、安心した点がある。

 

まず、恋人『キャスカ』が最終巻で一応、正気を取り戻したことである。

これがある時点からの旅の目的であったわけだから、少しホッとする。

 

次に、魔王となったグリフィスが、とてもマジメに帝国の増強に努めていることである。

自分自身で魔都を生み出しながら、妖魔を駆逐して帝国を護っているのだから、まあマッチポンプ的な話ではあるが。

しかし、おそらく本人は本気で夢を追っているだろうし、人間、人外の全ての者にとっての楽園を作ろうとしているのかもしれない。

 

そして一番安堵しているのは、『ガッツ』が『グリフィス』への執着を断ち切ったばかりか、夢を追う彼に対して一定の理解を持ち始めた点である。

いや、仲間を殺して魔王となり魔都を支配する者となった旧友を、理解するというのも変な言い方なのだが。

少なくとも時間の経過、環境の変化、そして戦いと迷いを命懸けで潜りぬけてきた自らの歴史が。

『ガッツ』を単なる復讐鬼から、少しずつ守るものを持つ真の戦士へと変えていった。

最終巻の手前で、『ガッツ』のその変化を見届けたから、ここで未完となっても、少し安心して僕自身の脳内イマジネーションを楽しむことができる。

 

 

と、いっても、まだ最終巻となっている40巻のあとのお話が、数話連載されたままとなっている。

だから、おそらく「薄めの41巻」がいずれ刊行されるのだろう。

その発刊を、次の楽しみにしたい。

 

 

すっかり、今週後半は「ベルセルク・ロス」となってしまった。

 

今日から、一から気合を入れ直して、全集中で業務に邁進したいと思う。

 

 

岸野康之 拝

閑話休題 ~ベルセルク(漫画)②背景と思想~

さて、昨日に続いてマンガ・ベルセルクのお話。

 

2 神と悪魔、そして人

 

読んでいて新鮮なところがあったのは、その「神」「悪魔」の取扱いである。

若い頃に様々な宗教史観を覗いてみたが、信仰や歴史の解説書はあっても、人にとっての「神」「悪魔」とは何かということの本質は非常に分かりにくい。

僕には、神は正義の味方であり悪魔は打破すべき悪、という程度の対立構図の象徴としか理解できないところがあった。

 

お話の中で、「この世の神では救うことができない魂の慟哭」を悪魔(的な者)が聞きつけ、その者を救済する。

救済といっても、生け贄(生きた親しい人間の命)と引き換えに、怪物の肉体と邪心を与えるだけであるが。

いずれにしても、高位の悪魔たちが「救われるなら、願いが叶うなら、神でも悪魔でもよい」という、悲痛な者の慟哭に応えるのである。

確かに戦乱や災禍の渦中にあれば、神を強く求めるだろうし、この世の神では救われないとなればこそ、悪魔に救いを求めるかもしれない。

 

 

ベルセルクでは全編を通して、マンガ的にありがちな神・悪魔という題材に、それらと人との関わりを描き続けている。

 

一方では、こうして悪魔化する者たちを、悪魔サイドでは「自我と欲望に極まったものが裏返った」姿、とも、称している。

救いを求める心と、自我と欲望が極まった心が、作品を通しては延長線上で表現されており、そのいずれかの心を持つ者が、悪魔に魂を売り払うのである。

確かに、我々の科学信仰などは「願いが叶うなら、神でも悪魔でもよい」という考えに近く、結果、際限なく人間の欲望を満たす科学でもあるから、これに近いかもしれない。

 

主人公の親友『グリフィス』は結局、因果律の流れにより、その高位の悪魔に転生することとなり、この世に魔界を現出させることになる。

ただし、その魔都と化した世界の覇者になったのちは、ただ欲望を貪るのではなく、人と悪魔を共存させる真の世界の帝王となる。

人間同士の戦乱が絶えず、また人間と魔物たちの殺し合いが絶えない世界を、相当の犠牲を払った後ではあるが、全ての人と人外の者たちが共存できる帝国に一変させた。

 

 

これは神の御業であるのか、しょせん『グリフィス』の王になりたい欲望が裏返った結果の、悪魔的所業に過ぎないのか

作者によって、そこに一定の解が与えられるはずであったが、いまや我々が想像する以外に無くなってしまった。

 

 

いま一つ、作中では盲目的な信仰心を正義とする者たちと、人、そして悪魔の関わりも描かれている。

確かにこれも現実の歴史では、それぞれに信仰篤い人たちの間で、夥しい戦乱の歴史があり、国を覆う信仰のために命を落とす人も多かった。

結局、誰を救うための神であるのか。

神は、国を導くための政治的象徴なのか。

さらには救済や政治の意義も失われ、特定の者の目的・無目的のためにのみ存することとなったのか。

 

 

 

などなど、この漫画を読んでいると、日頃使わない部分の思考を刺激されることとなる。

こういう部分が好きな読者層も、結構多かったと思う。

 

さて、次回は最後、人物とその生き方について書いてみたい。

 

岸野康之 拝

閑話休題 ~ベルセルク(漫画)①あらすじ~

今日の午後、急な訃報が飛び込んできた。

「ベルセルク」作者 三浦建太郎氏が54歳の若さで、病気で亡くなられたという。

 

ベルセルクは1989年に連載開始して、40巻まで刊行されたいまなお、完結が見えない長大な物語。

触れ込みは「ダークファンタジー」ということになっていて、確かに魔法とか怪物とか出てくる。

しかし僕はファンタジーというより、たまたま架空世界を舞台に、人・生死・宗教、そして主人公の生き方を通して、人間世界と個人精神の内面に迫ったお話だと捉えている。

開業税理士になってしばらく、何もかも上手く行かない時期にこの漫画を読み始めて、この架空世界と架空の主人公に、不思議ととても癒されたものだ。

 

今日、明日は三浦先生へ追悼の意を込めて、このお話について書いてみたい。

 

 

1 あらすじ

 

すべて架空の世界観であるが、モチーフは、魔女狩りや疫病流行、そして国同士の戦乱や宗教戦争など、混乱が絶えない中世ヨーロッパである。

身寄りがない主人公『ガッツ』は幼少期から傭兵団の中で育ち、戦場で鍛えられ、大剣の使い手として腕をあげていく。

『ガッツ』は、やがて無敗の強さ、頭脳そして美貌を持つ、傭兵団の団長『グリフィス』と出会い、意気投合し、二人は一緒に名をあげ地位を上げていく。

 

 

しかし数年後、『ガッツ』は、真に『グリフィス』と対等の関係であり続けたいという願いから、兵団を離れて放浪の旅に出る。

無二のパートナー『ガッツ』を失った『グリフィス』は、あらゆる面で急速に精彩を欠きはじめ、ついに事件を起こして国王に捕えられ、拷問の末に廃人同様になってしまう。

自分が離れた間に『グリフィス』が捕えられ、兵団が半壊したことを知った『ガッツ』は彼を救出して、再び兵団に合流することとする。

 

 

一方でこの時期、人外の闇の者たちが、彼らが仕えるべき『グリフィス』のもとに集結しつつあった。

この闇の者たちは強靭な力を持つ怪物であるが、元々はみな人間で、欲望や憎しみが裏返った結果、呪力により魔物となった者たちである。

実は『グリフィス』は、この世の因果律によりその者たちの王となることが約束された闇の御子で、救出後すぐに「兵団の者、全員の命を生け贄」にして、闇の王として転生することになる。

 

『ガッツ』も生け贄の一人となったが、片目と片腕を失いながら、恋人の『キャスカ』とともに、かろうじて生き残ることとなった。

ただ『キャスカ』もまた闇の者たちに大いに傷付けられ、心身に大きな傷を残し、正気を失って幼児退行してしまう。

その後『ガッツ』は、傷付いた恋人『キャスカ』を連れながら、闇の者たちと戦いながら魔王として転生した『グリフィス』を探す旅に出ることになる。

 

 

『ガッツ』は、『キャスカ』を傷付け、兵団の仲間たちを喰い殺した闇の者たちを探し出し、刹那的に復讐を繰り返していく。

しかし、憎しみに囚われ人の心を失いかけていた『ガッツ』は、長い旅の中で新しい仲間たちに出会い、共闘する中で人らしい感情を取り戻してくる。

そして、精神が傷付いた『キャスカ』を恢復させることができる人物に会うために、一行は新たな船旅に出ることとなる。

 

『ガッツ』はその旅の中で、仲間と出会い、新しい力を身につけ、闇の者たちと対等に渡り合う力を身につけていった。

そしてついに、『キャスカ』を恢復できる人物と出会い、彼女の正気を取り戻すことに成功したのである。

 

 

一方、そんな『ガッツ』の旅と無関係に、『グリフィス』の転生以来、世界の亀裂が大きくなっていき、世界の至るところに「魔界」が現出していく。

その中で、闇の王として転生した『グリフィス』は、絶大な呪力・魔力によって、人間と闇の者たちが共存する巨大帝国の建立を進める。

そして、魔界があふれ出た世界で、『グリフィス』が建立した巨大帝国一国のみが、闇の者たちとの共存を条件に、人が快適に生きれる唯一の場所となった。

もともと人間であった頃から、王として城を統べることを夢見ていた『グリフィス』は、図らずも魔王として、人間と闇の者たちを等しく統治することになったのである。

 

 

ここで40巻、この物語は止まっている。

この後、世界の王となった『グリフィス』と仲間と力を得た『ガッツ』とが邂逅して、そこから長い戦いや対話が展開されていく、はずだった。。。

 

表面のあらすじからは、確かに冒頭記したように「ダークファンタジー」という、あるジャンルの漫画の一つに過ぎないように見える。

しかし、物語は極めて深い歴史観、死生観そして人間観によって構成されており、あらゆる年齢層の大人たちの心を捉えて離さない

 

 

次回は、その内容について触れていこうと思う。

 

岸野康之 拝

医療コンサル(8)マッピングと地域動線の分析

病院の世界に入って3件目の自治体病院コンサルの業務では、チームを組ませてもらった。

正確に言うと、出来っこない荒行を振られて泣きを入れたら、チームの組成を了解してくれたのだ。

 

元S友商事の腕利き商社マン・Y氏。

J/大学准教授・I氏。

N政策投資銀行・H氏。

 

よくこういうメンバーを集めてくれたと、(当時は恨みに思っていた)ボスには大変感謝している。

I氏、H氏とはまあ、いろいろアレだけれど、特に一緒に現場で格闘していただいたY氏との仕事は、いまでも大切な財産・思い出になっている。

 

 

Y氏は医薬品、医療機器の流通に強かったが、同時に「診療圏(商圏)分析」にめっぽう強かった。

その診療圏分析を、実際に何日もクルマに同乗して、一緒に実地でやらせてもらったのである。

 

 

まずコピーした地域の地図と、地域の病院・クリニックの固有データを用意。

それらを持ち、クルマでその医療機関現地に行く。

現地で医療法上の掲示物を確認して、情報と実際の異同を確認する。

そして重要なのは、そうしてクルマで回ったそばから、持参した地図に確認地点をプロットし、記録してくのである。

 

そうして蓄積したアナログな現場データを、デジタルで描き出した地図上に表現していくと、驚くほど、その医療機関が地域でどのような地理的役割をになっているかが、明らかになっている。

 

こういう一連の地図上の作業を、我々は「マッピング」と呼んでいる。

 

僕はここで基礎的・原始的なマッピングを学んでからというもの、自分の業務のため、お客さんのために、できる限りマッピングするようにしている。

例え分析上は必要なくても、成果品に入れなくても、だ。

 

 

前回、歴史を知ることで地域の皆さんとの共感性が生まれる、という話を書いたが、マッピングもやはり同様の効果がある

僕は初めてマッピングをして、その威力を知って以来、全国のあちこちで地図を片手に、現地の仕事仲間と現地でマッピングするようになった。

 

 

マッピングを自らすると、いかに地方公共団体の行政上の位置と、地域医療機関というのがそれぞれ「無関係に存在している」ということがよく分かる。

自治体も可愛そうなもので、国から医療政策の全権限と責任を押し付けられているというのに、我が街にどんな病院があるかどうかは、一切選べないのだ。

その事実については、いくら議論をして報告書を読んでも、ピンとこない。

少なくとも地図上のレイアウトをしっかり見て、初めて我が街が、我が医療機関が、どこにあって何をすべきかということが見えてくる。

 

 

とかくコンサルテーションというと、財務とか法律とか、物事を解決してくれそうな理屈に依拠しがちだ。

しかし、人間はそれほど賢くないから、経験や記憶に訴えかける「歴史」、視覚や体感に訴えかける「マッピング」など、分かりやすいものから理解したほうが効率がいい。

そうして自分(たち)自身にしっかり見える化することで、次にどんな分析を進めるべきかということも分かってくる

 

どの分野のコンサルテーションであっても、重要なポイントは、「可視化する」という点にあることは間違いない。

 

岸野康之 拝

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