税理士 岸野康之 事務所のブログ 一覧
医療法人の定款
医療法人の定款作成、その後の定款変更は、都道府県等の許認可事項だ。
株式会社や一般社団法人の場合は、公証人による認証の段階はあるが、医療法人の定款は行政による認可事項である。
正しい変更定款を作成しても、都道府県の所管部局が運営や申請に問題あり、とした場合には認可が受けられない。
特に、新たに病院、クリニックなどを出す場合には、行政の長から定款変更の認可を受けなければ、開設できない。
そういう局面では、定款変更の認可を受けられるかどうか、というのは法人運営の一大事だ。
ただし定款変更の認可は、決して「落とすための試験」のようなものではない。
新施設の開設でムリな計画を認可してしまい、おかしな施設ができないように、運営計画を確認するものである。
だから不適切な運営や計画など問題が出てくると、認可に時間がかかり、開設計画に影響を及ぼすから注意が必要だ。
開設の場面では決算書や予算書も点検するから、日頃から税務署だけでなく、医療行政を意識した運営が望まれる。
定款変更の認可は、医療施設がただ引っ越すというだけでも、必要とされる。
開設に比べれば書類等はシンプルだが、勝手に引越し計画を立てて定款手続を後回しにすると、あとで大変なことになる。
昔、ただ引っ越そうとしただけなのに、定款変更のことを知らずに苦労した院長もいた。
そんなわけで、日頃は気に留める人が少ない定款が、医療法人の運営のあちこちで重要な場面を担うのである。
ところで、医療法人の定款変更の認可にはいくつか特徴がある。
(1)都道府県等による取扱いレベルの差
都道府県によって、認可のさじ加減から行政法規の取扱いレベルまでが、結構異なる。
「あの県では、これでOKだったのに」ということが、しばしば出てくるのだ。
ただ、地域差は行政手続「あるある」だし、僕は地域差(役所差)あってこその事務分掌、地方分権だと思っている。
(2)定款を通じた医療政策の浸透
それから、会社法などでよく言う「定款自治」とは違い、あまり自治的ではない。
定款業務をしながら、自治というより、定款を通じた国による医療政策の浸透が目的かな、と感じる。
ある時期までは、定款に法人や地域ごとの特色のようなものが出ていた。
決して懐古的に述べているのでなく、そういう存在であったということだ。
それが、国が出す「モデル定款」と一言一句違わないものを求める指導が増えてきた。
社会医療法人の登場以降、法人類型が一気に多様化した関係から、仕方ないかもしれない。
(3)定款文言の変更によって財産、相続税の実態に影響を及ぼす
医療法人の定款は、医療の相続(税)対策と密接なのが大きな特徴だ。
定款の簡単な文言修正で、平たくいえば、資本金(出資金)無し の法人が誕生する。
株式会社などでは、何をしても 無し になるということはないから、大変なことだ。
ただし定款変更で 無し にすると、確実に課税問題が出てくるので、よく一緒に研究してから実施しないといけない。
と、医療法人の定款は話題が尽きない、先々もっと多様なお話をしたいと思う。
今日お邪魔した医療機関二件とも、理事長の話題は「ワクチン、どうなるかな」だった。
まず医療者たちが、コロナによる過度の緊張から解放されることを、願うばかりである。
岸野康之 拝
医療法人類型の概観
医療機関には、国公立、社会福祉法人、学校法人など、様々な開設主体があり、その一つに「医療法人」がある。
医療法人は多いが、医療機関という括りで見ると、その開設主体の一種類に過ぎない。
医療機関の開設主体は僕の最重要テーマだが、それはとりあえず置いて。
今日は医療法人に限定して、その類型だけざっと見てみたい。
【医療法人の類型】
・出資持分がある医療法人(社団)
こうして並べると多岐に亘るが。
いまなお「出資持分がある医療法人」が一番多い。
そして、相続税や財産が論点になるのは、やはり「出資持分がある医療法人」である。
・出資持分がない医療法人(社団)
本来、ただの「出資持分がない医療法人」は制度上、存在していない。
それが、過去に特定医療法人を返上したか、ただ持分放棄(後日に解説)したか、によって存在している。
・基金拠出型医療法人(法理上は出資持分がない医療法人(社団)と同類型)
平成19年4月以降の医療法人設立は、全て「基金拠出型医療法人」によることとなった。
もうこの方法でしか作れないので、現在、新たに誕生する医療法人には出資持分はない。
(一般社団法人による設立などは、医療法人とは異なるテーマである)
・医療法人財団(出資概念は存在しない)
地味だが、昔は医療法人「財団」(財団法人ではない)が、出資持分のない医療法人に該当していた。
いまもボチボチ存在しているが、これから新たに設立、所有する戦略的意味合いは、あまりないと思う。
・社会医療法人(社団・財団 医療法上の類型、法人税法別表第二の非課税法人、出資持分なし)
社会医療法人は平成19年4月の医療法改正で誕生した非課税団体、現在325件ある。
様々な社会医療法人申請業務、監査業務をしてきたが、実は今年、僕の実務上ホットなテーマだ。
・特定医療法人(社団・財団 租税特別措置法上の類型、出資持分なし)
特定医療法人は最もオーソドックスな持分なし類型だが、現在は様々な理由から件数が減少している。
僕自身も、6年前に前職場を退職して以来、触れることは無くなった。
前職場には特定医療法人のプロフェッショナルがたくさんいるが、僭越ながら、いずれ触れたいと思う。
・認定医療法人(医療法に規定、納税猶予・免除は措置法で規定、出資持分なし)
いま一番ホットなのは、平成26年に制度化され、平成29年に大リニューアルされた「認定医療法人」。
ウォールマリアのように高かった持分放棄の壁を低くする、相続対策の決定版として登場した。
しかしその割には、株式会社の納税猶予制度と同様に人気がない。
その理由については、僕も実務で触れる身として、いろいろ私見を書いてみたい。
・出資額限度医療法人
この類型は、定款の一部変更により、出資者に対して出資額面による持分払戻しを可能にしたものである。
一件便利だが、国税庁が平成16年に贈与税等の課税関係を明らかにして以降、取扱い難案件となっている。
先日も、僕がスポット調査に入った医療法人で、出資額限度型の定款を拝見する機会があった。
課税問題が現出したら大変なことになる法人もあるので、引き続き取扱い注意の類型といえる。
ということで、表面を見ただけでも、これだけ法人類型が複雑化している。
なぜ官業主導の産業というのは、シンプルにする発想がないのだろうか。。。
などと、ボヤいても始まらない。
目の前には、社会医療法人取扱いで実務上の宿題があるので、今週はこれに取り掛かろうと思う。
岸野康之 拝
医療崩壊と聞いて
コロナ禍の状況下において、「医療崩壊」「医療が逼迫」と言われて久しい。
今日の医療崩壊の懸念は、コロナに罹患などした患者の受入能力がある、一部の病院に過剰な負荷がかかった状態から来ている。
とにかく医療者と生活者のことを思うと、この状況は、早晩に収まってほしいところである。
ところで、医療崩壊という言葉はこのコロナ禍に限らず、しばしば使われてきた。
僕が医療会計の世界に入った平成17年は、その医療崩壊の危機が進んだ時期だった。
まず当時は、平成16年から導入された「新・臨床研修医制度」の影響が本格化する前夜であった。
新・臨床研修医制度は、「白い巨塔」的な医局制度を改め、これまでの旧態依然とした医師研修制度を改革するために作られた。
超かんたんに言うと、医学部の卒業生たちが教授や医局の指示によらず、自由に臨床研修先=初期の勤務先を選べる仕組みだ。
結論としては、この制度で医師が自由に研修先や勤務先を選ぶようになり、全国的な医療崩壊が加速したと言われている。
育てた医師や学生が自分の大学に残らない結果、研究も診療も回らない地方の大学病院が続出。
仕方なく多くの大学病院が、「市中への派遣医師を大学に引き上げる」、という苦肉の選択を行うこととなった。
これにより平成20年前後は、全国で「医師不足」「医療崩壊」という言葉が聞かれるようになり、連日のように新聞を騒がせた。
同じ時期に、診療報酬のマイナス改定とその関連で、看護師の配置ルールが大きく変わった。
これにより、全国で「看護師争奪戦」が勃発。
この時期に看護師の獲得競争が加速し、看護師も「給料で」医療機関を選ぶ傾向が強くなった。
この診療報酬改定は、収入を下げてコストをあげる改定だったので、公立病院を中心とした医療経営を直撃した。
そして「医師不足」とか「医師の偏在」などと言われている間に、「救急、お産体制の崩壊」が進展。
「救急車のたらい回し」「お産の医療ミス訴訟」「産科撤退」という記事が、本当によく散見された。
いま僕が通う関与先で、この時期に救急や産婦人科を閉鎖して、再開できない病院も多い。
当時のお産体制はすでにひっ迫しており、常勤医一人で年間数百件の分娩を扱うなど、大変な状況にあった。
その医師たちが告発され逮捕され、マスコミは叩き、そして自治体は、医師たちを守らなかったのである。
で、「厚い体制でないとお産はできない」こととなり、分娩可能な医療機関が極端に減ることとなった。
無論、お産の安全体制が手厚くなったという点は、大変歓迎されるべきことだ。
しかし、この時期に「産めない街」が急増した事実は、少子化日本の動向と無縁ではないかもしれない。
国の医療政策がイマイチだったり、医療制度が複雑ということはある。
しかし、医療環境も医療体制も、絶えず変化している。
ある側面から見ると、絶えず崩壊しつつあるものを、大変な努力で守る人たちがいる。
このコロナ禍は国を、世界を揺るがす大事であるが。
僕たちは、願わくば一人一人が医療体制を守る一員として、日々行動していきたいものだ。
初めて、blogを書くことにした。
初めて、ホームページを使って、blogを書くことにした。
これまでFacebookやTwitterでは、日常の細々としたことを書いてきたが。
自分の経験、技術、そして思いを明文化する必要性を感じていたのだが、自分の言葉を残すのが怖かった。
しかし少しずつ、気を付けながら、書いていくことに決めたので、暖かく優しく見守っていただきたい。
さて「言葉を残すのが怖い」とは。
僕は20代の頃からずっと、言葉は「言霊」であると思っている。
実は言葉のことを「言霊」であると表現する人は、意外に多いし、よく目にする。
「良い言葉をつかうとそのようになるし、悪い言葉を使うとそのようになる」
というような趣旨で使われているのを、よく見かける。
でも、僕の言葉が「言霊」であるという用法は、それとは少し違っていて。
僕は、言霊という文字の通り、「言葉」は霊のようなもの。
一度、世に出した言葉は霊が宿ったようなものだと、捉えている。
僕は霊魂等は信じていないが、その表現方法が、大変しっくり馴染んでいる。
そう、言葉は一度活字にしたら、口に出したら。
二度と戻ってこない、カゴから出た鳥のように。霊が宿ってしまったように。
活字にする瞬間、口に出す瞬間は、その言葉は、まだ自分の言葉だ。その言葉は、自分のものだ。
でも、一度活字として出たら、口に出したら。
その言葉はもう、自分ものではない。
言葉は、霊や生命が宿ったように勝手に飛んでいく。
それを見た人、聞いた人は、僕の意図と近い理解をする人もいれば、全然違う理解をする人もいる。
でも、それをどうすることもできない。
言霊は、もう僕らの手を離れて、他人や歴史に対して勝手に作用していく。
だから「そんなつもりで言ったのではない」なんて言い訳は通用しないし、まして「撤回」「修正」などできない。
誤った言霊を送りだしたら、それを消すために次々と、別の言霊を送り出さねばならない。
その言葉たちが、また勝手に作用していく。
言葉は言霊。僕らの力が及ばないという点では、非常に「霊的」と言えるかもしれない。
政治家とか経営者というのは、図らずも言霊の威力をよく知っている人たちだと思う。
ただ、このインターネット社会というのは、彼らの想像をはるかに超えて、言霊が暴れやすくできている。
だから僕らは、自分の手元を飛び立った言霊を、誰がどう解釈し、どう使い、どのように跳ね返ってくるか。
自分の送りだす言葉が、世界中のあらゆる他人に作用する可能性に対して、ものすごく想像力が必要な時代だ。
僕は言葉を、そんな言霊だと思っているので、活字を残すということに大変慎重になっていた。
言葉で意思表示して、言葉で商売して、言葉を強く信じているにもかかわらず。
ただ、少し気持ちを切り替えて。
僕もその言葉を、言霊を、活字を残す作業を通じて、上手に扱えるようになってみようと思う。
岸野康之 拝
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