税理士 岸野康之 事務所

医療機関専門
財務、経営、相続 アドバイザリー

税理士 岸野康之 事務所のブログ 一覧

税理士 お客様との関係、呼び方など

税理士は官製産業のようなところはあるが、純然たる民間人だ。

だから当然、お客様がいて初めて成立する。

税理士業界、特に税理士会などの中では、お客様を「関与先」と呼ぶ。
「顧問先」とかともいうか。

コンビニや飲食店で、お客さんのことを「関与先」とは呼ばないだろうし。
自動車販売会社の馴染みのお客さんのことも「関与先」とは呼ばないだろう。

弁護士事務所だと依頼者とか、まあ顧問先、くらいかな。

僕は「関与先」は、言いたいことは分かるけど、ちょっと言葉として使うには躊躇がある。
基本は「お客様」だろう。

一方で世の中全般では「クライアント」という呼び方がある。
むしろ「クライアント」と呼ぶのが正統で丁寧だろう、というある種の同調圧力のようなものも感じる。

とまあ、そんなわけで、僕は外向けには「お客様」「クライアント」「顧問をしている病院」みたいな言い方をしている。

ところで、呼称はともかくとして、税理士としての僕にとってのお客様とはどんなものか。
僕は、何であるのか。

会計の世界に入ってから、「お客様にこうしたい」「お客様とこう付き合いたい」と決めたことはないし、定義づけたこともない。
お客様第一主義、なんて薄く軽い言葉は、口にしたこともない。

僕らは、その経営者や兵士(職員)たちとともに命を懸ける「傭兵」であることができる。

とても便利で頼れる、時には敵将のクビを持ち帰るような、勇猛な傭兵だ。

雇い主である経営者からおカネをもらって仕事をする、という意味では、顧問先はお客様だ。
しかし、「売り手と買い手」「契約当事者同士」という相対関係で表現するより、自らを「傭兵」と例える方がしっくりくる。

そして経営者、経営者に雇われている職員の皆さんは、ともに戦場で同じ敵と戦う「同志」だ。
傭兵と兵士は雇われ方は違っても、経営の成功、経営の安定を通して自らの幸せを希求する、この目的に一切変わりはない。

お客様が経営的に行きたい方向に、いつも一緒に走っている。
お客様の数は多くなったが、彼らが横を見ればいつも僕らの影が見える。

すべてのお客様に対して、常に僕らが見える場所にいるという、そんな位置に立ち続けたい。
僕らが、当事務所が顧問であることが、経営の武器となり、お守りとなる。
経営者と職員皆さんの、勇気の源であるようにありたい。

医療専門の税理士として、いつもそんな気持ちで活動している。

そういう気持ちが伝わるせいか、お客様の中に「おれは客なんだ」という感じの方はいらっしゃらない。
社会的地位の高い方々が多いのに、むちゃなことを仰る方もいない。
(質問内容や、依頼する業務の要求水準は、非常に高いが 汗)

また僕らに似て、当事務所のお客様である理事長、院長、代表者たちは本当によく働き、よく考える。
僕はそのことを、とても誇りに思っている。

ところで最後に。
「税務」については、医療機関に特化しているという点では僕らが詳しく、長けている部分はしっかりある。
医療法上の手続等も体得しているので、医療機関にとって頼もしい存在であると、自負もある。

しかし、どのお客様に対しても、特別に強力な、あるいは鋭い、そういう節税をしたりすることはない。
税務署が見て気になるような取引は、当然指摘し、かつ推奨しない。
その点は、臆病なくらいに神経を遣って、安全な税務処理をお勧めしている。
(「税務署は滅多に来ない」という前提で、いろいろされる納税者、税理士もいらっしゃる)

我々税理士が頑張るべき、汗をかくべき場所は無限にある。

常に専門的で新しい税務知識、税務処理を提供するとともに、会計構築、経営助言など。
税理士がお客様に提供できる付加価値は、無限にある。

僕は、その点において自らを「傭兵」に例えて。
経営者たちと、経営の成功に向けて同じ空を見て走ることがとても楽しく、誇らしい。

ただ、傭兵として併走し続けるスタンスは、タフで苦しい面もある。
そのために常に気力、体力を十分に養い、楽しいことを見つけながら走り続けていこうと思う。

資金の海外送金 納税管理人

もともと為替取引は、国や銀行の独占業務であったらしい。

この独占業務を民間企業に開放することを目的として、2009年に成立した資金決済法により
「資金移動業」
という業種が誕生した。

「資金移動業」とは。

「銀行等以外の者が為替取引(少額の取引として政令で定めるものに限る。)を業として営むこと」
(資金決済法 第2条第2項、第3項)

ただこの資金移動業者による資金移動は、原則として100万円が送金限度額であった。

これを2020年の法改正によって

・第一種  100万円超の送金
・第二種  100万円までの送金
・第三種  数万円程度の送金

と、100万円を超える資金移動も可能になったとのことである。

いま僕はある納税者の「納税管理人」に就任している。

実は過去に何度か、何人かの方との納税管理人となり、その納税手続等を丸抱えで行う場面があった。

その際に預かったおカネの取扱いはデリケートなので、送金事情に詳しい行政書士の先生の助言を受けながら管理している。

ところでこちらから海外送金するときに、銀行窓口からの送金で面倒に出くわすことがあった。
僕が慣れていないだけだと思うが、勘弁してくれ、と思う面倒が生じることがあった。

そこで民間送金事業者のアプリを使ったところ、簡単に海外送金できた。

すごい時代になったな~
と能天気に感心していたが。

ちょっとした機会があったので調べたら、上述のように、そのアプリの事業者は

「国と銀行以外の、民間の資金移動業者」

であった、ということになる。

便利だが胡散臭いのでは、といぶかしく思うところもあったが。

彼ら事業者の成立、存立根拠が確認できて、少し安心した。

僕は海外取引専門などではないが、自分のクライアント回りで海外取引も現に頻出する。

今後もその辺に詳しい税理士、行政書士などの先生方と一緒にしっかり取り組んでいきたい。

岸野康之 拝

閑話休題 ~ブログ、ほんの少しお休み~

忙しいときほど、いろいろ重なるもので。

最近はプライベートでちょっと忙しいことが出てきた、と思ったら。

 

個人申告の相談、開業医の税務、大手病院のコンサル・・・

5月後半から、急に様々な業務ご依頼やご相談が、増えてきた。

そのために、ただでさえ休みが少ない状況にあって、完全に時間が無くなってしまった。

しかも僕の最繁忙月は、毎年6月なので・・・

 

というわけで、タイムマネジメントの一環で、ブログとFacebookの更新をストップすることにした。

何気にブログとSNSで、一日2時間くらいは(あんなものでも)使っていたが、いまはその時間が惜しい。

この6月が無事に空けたら、また再開しようと思う。

そんなことで、(わずかな人数の)読者の皆様には寂しい思いをさせてしまう(?)が、しばし、ご容赦いただきたい。

 

 

業務体制も僕にしてはボチボチ広げてきたが、もう一段階、拡張していかないといけないかもしれない。

ただ、ここしばらくは、まずこの体制で皆様と走り切りたいと思う。

 

たまに「ブログ読んでます」と言われると嬉しいもので。

必ずこの業務集中の時期が明けたら、しっかり再開して、体制もさらに安定化させていく。

 

 

岸野康之 拝

医療コンサル(11)医療と福祉 人的構造

16年前に、通っている専門学校が近いという理由だけで、勤務を始めた会計事務所。

そこが医療専門の会計事務所だったのだが、医療を取扱っていると、自ずと「福祉」「介護」などが付随してくる。

だから今でも、「医療福祉がご専門ですよね?」と問われる機会が多いわけであるが。

 

今回は、医療福祉の人的構造について、触れてみようと思う。

 

 

 

僕は医療を説明するときに、まずその「人的構造」に着目する

医療の世界は、医師を中心とした有資格者が構成する世界である。

医師・歯科医師は別格というところがあるが、それを中心に、看護師、薬剤師、技師その他、多くの医療資格者が登場する。

よく言えば職能チームだが、見方を変えると、医師を頂点としたピラミッド、ヒエラルキーの世界だ。

 

だから、僕は一歩医療機関に足を踏み入れたら、言葉の使い方、人の心持ちなど、この構造に対して非常に敏感になる。

全然えらぶらない人もいれば、僕のような事務屋を見るだけで、「ふんっ」という雰囲気になる人もいる。

だから、エライ方々だから気を付けるような意味合いではなく、皆さんが履いている「心のゲタ」の高さのようなものに、気を付けている。

 

 

ところで福祉の世界では、この辺りの人的構造が違う

例えば、特別養護老人ホームを経営する社会福祉法人で見ると、トップが医師とか決まっているわけではない。

そして、こちらも有資格者の集団であるが、配置の必要上から看護師がいるものの、あとは介護福祉士とその補助が大半を占める。

だから、際立って高いゲタをはいている人もいないし、職場としても横並び感がある

 

 

さて、その医療と福祉の人的な構造の違いが、何を意味するか。

 

僕は、とにかく医療の世界は複雑に形成されていると、常々感じている。

医療の世界では、「医師が一番えらい」というムード的な問題ではなく、医師が存在しないと医療機関は存立できないのである。

技術と志に優れた看護師と薬剤師が何百人いても、医師数名がいなければ、病院又は診療所は存立できない。

さて、それでは医師をガンバって集めたとして、今度は一定数の看護師がいなければ、入院患者に入ってもらうことができない。

ところが一定数の看護師が入院患者を診ると、本来は薬剤師が病棟薬剤を管理するべき、という議論が出てくる。

そんなワガママな人員配置を揃えた頃に、人気医師が医局の都合で引き上げて、血眼になって次の医師を探す・・・

 

そんな感じの、複雑な世界を上手に統制しようと、事務長(やボク)などが出陣すると、医療を知らないくせに~とボコボコになる。

また、そこには医師の世界、看護師の世界、その他医療職の世界ごとの、給与水準や文化など異なる世界観があるから、より複雑だ。

 

しかし、僕は医療から入っているし、お付き合いの深度も圧倒的に医療機関が多いので、医療の構造のほうがカラダに馴染んでいる。

まず組織図を見て、医師がいて看護師がいて・・・という構造を確認すると、「いつものやつだな」と安心する。

 

 

その点で言うと、福祉の世界は構造としてはよりシンプルである。

福祉の世界でも、介護士不足は深刻で簡単という話ではないが、構造的にシンプルなので本題に入りやすい。

ただ、本題に入りやすいということは、議論がシフトとか入所者ケアの技法とか、介護そのものが本題になるので、僕など事務屋には難しい。

 

医療の世界でも当然、医療技術が最重要なのだが、それを取り巻く複雑な環境に対して、僕ら事務屋が貢献すべきことが山ほどある。

医療行為以外に、かなり多くの問題を解決しないと、医療機関を存立させることは難しいのだ。

 

 

そんな医療と福祉の人的構造の違い、ぜひ気にしながら見ていていただきたい。

 

岸野康之 拝

医療コンサル(10)医療と福祉の全体像

IOCのバッハ会長によると、日本人はこんな感じ、とか。

「日本人のユニークな粘り強さという精神、逆境に耐え抜く能力をもっているから。美徳を感謝したい」

どんな英語を和訳したのか分からないが、つまり「逆境に耐えられるだろうから、五輪やるよ」ということに見える。

 

しかし、逆境に耐えるかのような意思決定をしているのは一部の人で、僕ら末端の国民は、ただ「モノを言いにくい空気」に押されて黙っているだけだ。

その辺、日本人は無口で意見しないから、多弁な西洋人からは「我慢強いのお」としか思われないのでないか・・・

 

 

1 医療と福祉

 

医療と福祉は近く見えるが、基本的に違う。

医療は、医行為によってケガや病気を治すものだ。

福祉は、ケガや病気とは関係なく、全ての人が一般に生活を維持できるように公的に扶助したり支援する制度だ。

老人福祉、障碍者福祉、困窮者への福祉、児童福祉など、福祉の範囲は極めて広い。

 

その意味では、無償医療や低額診療を含めた、低廉な価格での医療提供は、広義の福祉の範疇に入るかも知れない。

 

いずれにしても、医療を定める法律が目指すものと、福祉を規定する法律群が目指すものは、近いが同一ではない

別に同一性を否定しているわけでなく、もともと目的が違うから、全く相いれない部分があるのである。

 

 

2 介護保険の登場

 

医療と福祉は別のものであると上述したが、実際には特に高齢者医療・高齢者福祉においては、医療が高齢者福祉の一端を担う時期が長く続いた。

また福祉提供は、主に市町村などの行政措置によるものが多く、負担と給付の関係が曖昧だったり、介護サービスの地域差などが顕著になっていた。

 

こうした様々な問題に対処するために、2000年度から「介護保険法」が成立し、介護保険料の納入と介護施設サービスの給付が、仕組みとして体系づけられた。

これにより、少なくとも制度上の建前としては、医療をする制度と高齢者福祉を提供する制度が、キレイに区分、明確化されたわけである。

 

 

3 地域包括ケアシステム

 

しかし実際には、制度をどのように変更しても「少子高齢化」の急速な進展に、変わりはない。

むしろ、それまで以上に「医療福祉が一体的に」、高齢化問題に取り組んでいく必要があった。

その国家的な取り組みの中心に、「地域包括ケアシステム」が位置付けられることとなった。

 

 

地域包括ケアシステムでは、高齢化してからの数十年、病気になったら適切な医療機関に行き、介護が必要になったら適切な介護サービスが受けられるように、様々な仕組みがこの包括システムを支える

そして極力、住まいでも医療・介護サービスが提供できて、かつ、住まいで最期の「看取り」までできるように、様々な仕組みが作られていった。

 

もちろん、こうしたシステムの経済的誘因はあり、それは医療保険財政を堅持していくことだ。

そのため、高コストである医療機関の入院を最低限に抑えていくための仕組みも、非常に細かく張り巡らされている。

そして、そのことの是非などを問うている間もなく、高齢化社会はさらに進展し、地域包括ケアシステムは全国各地でしっかり形成されてきているのである。

 

 

 

昔は、介護・介助を受け、福祉施設に入り、最期は病気になって医療機関に入る、という流れだった(イメージ的に、は)。

しかし現在は、医療機関の入院が長くなると老健・特養に入り、最期の段階になるとその施設で、または住まいに戻り、「看取られる」こととなる。

このように、高齢者人口の圧倒的な増加が、数十年の間に医療と福祉の関係性を大きく変えていくこととなったのである。

 

 

次は、医療と福祉への業務的なかかわり方について、少し触れてみたいと思う。

 

岸野康之 拝

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