閑話休題 ~ベルセルク(漫画)②背景と思想~
さて、昨日に続いてマンガ・ベルセルクのお話。
2 神と悪魔、そして人
読んでいて新鮮なところがあったのは、その「神」「悪魔」の取扱いである。
若い頃に様々な宗教史観を覗いてみたが、信仰や歴史の解説書はあっても、人にとっての「神」「悪魔」とは何かということの本質は非常に分かりにくい。
僕には、神は正義の味方であり悪魔は打破すべき悪、という程度の対立構図の象徴としか理解できないところがあった。
お話の中で、「この世の神では救うことができない魂の慟哭」を悪魔(的な者)が聞きつけ、その者を救済する。
救済といっても、生け贄(生きた親しい人間の命)と引き換えに、怪物の肉体と邪心を与えるだけであるが。
いずれにしても、高位の悪魔たちが「救われるなら、願いが叶うなら、神でも悪魔でもよい」という、悲痛な者の慟哭に応えるのである。
確かに戦乱や災禍の渦中にあれば、神を強く求めるだろうし、この世の神では救われないとなればこそ、悪魔に救いを求めるかもしれない。
ベルセルクでは全編を通して、マンガ的にありがちな神・悪魔という題材に、それらと人との関わりを描き続けている。
一方では、こうして悪魔化する者たちを、悪魔サイドでは「自我と欲望に極まったものが裏返った」姿、とも、称している。
救いを求める心と、自我と欲望が極まった心が、作品を通しては延長線上で表現されており、そのいずれかの心を持つ者が、悪魔に魂を売り払うのである。
確かに、我々の科学信仰などは「願いが叶うなら、神でも悪魔でもよい」という考えに近く、結果、際限なく人間の欲望を満たす科学でもあるから、これに近いかもしれない。
主人公の親友『グリフィス』は結局、因果律の流れにより、その高位の悪魔に転生することとなり、この世に魔界を現出させることになる。
ただし、その魔都と化した世界の覇者になったのちは、ただ欲望を貪るのではなく、人と悪魔を共存させる真の世界の帝王となる。
人間同士の戦乱が絶えず、また人間と魔物たちの殺し合いが絶えない世界を、相当の犠牲を払った後ではあるが、全ての人と人外の者たちが共存できる帝国に一変させた。
これは神の御業であるのか、しょせん『グリフィス』の王になりたい欲望が裏返った結果の、悪魔的所業に過ぎないのか。
作者によって、そこに一定の解が与えられるはずであったが、いまや我々が想像する以外に無くなってしまった。
いま一つ、作中では盲目的な信仰心を正義とする者たちと、人、そして悪魔の関わりも描かれている。
確かにこれも現実の歴史では、それぞれに信仰篤い人たちの間で、夥しい戦乱の歴史があり、国を覆う信仰のために命を落とす人も多かった。
結局、誰を救うための神であるのか。
神は、国を導くための政治的象徴なのか。
さらには救済や政治の意義も失われ、特定の者の目的・無目的のためにのみ存することとなったのか。
などなど、この漫画を読んでいると、日頃使わない部分の思考を刺激されることとなる。
こういう部分が好きな読者層も、結構多かったと思う。
さて、次回は最後、人物とその生き方について書いてみたい。
岸野康之 拝
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