税理士 岸野康之 事務所

医療機関専門
財務、経営、相続 アドバイザリー

病院等の機能(4)医療構造の大きな変化

平成16年(2004年)前後は、駆け出しの僕にも分かるほど、医療界に激震が走っていた。

1 新臨床研修医制度の開始

前回書いたように、医局に属している医師は、基本的に医局人事によって勤務先等を選定する(される)ことになる。

属する医局というピラミッドを中心に、キャリアプランが動いていくのである。

ところが平成16年に新・臨床研修医制度が始まり、研修医がある程度自由に研修先を選べるようになった。

この頃、新米コンサルとして医療現場に出入りしていると、とにかく新制度の「文句」しか聞かない。

いまでも、厚労省が何のために新制度をやったか、真の狙いはよく分からないが、とにかく文句と制度的欠陥以外に、聞いたことがない。

「大学に、若い医師が残らなくなった」

「若い医師がいなくなったので、指導医など上位の医師が、研究できなくなった」

「大学に医師がいない本末転倒な状況になったので、派遣医師をガンガン引き上げた」

「派遣医師を引き上げたら、多くの病院で「休診」だらけになった」

この時期、目に見えて各地の医療が崩壊していった

多くの勤務医や開業医が、「地元の医療が崩壊する様子」をブログ等で書いており、僕も毎日、食い入るように読み続けた。

2 新制度以前の、医師の苛酷労働

新制度は決して、ただ無為無策に作られたものではなく、無給・薄給の研修医に支えられた「前近代的医療体制」を、正そうとする側面はあった。

それまでは、医局には逆らえない、医局と自治体の関係性には逆らえない、そういう研修医たちの献身的な働きが、日本のフリーアクセス医療を支えていた。

これを奴隷労働と揶揄する医師も多かったし、実際に、かねてより「医師の過労」は社会問題となっていた。

新臨床研修医制度は、そうした前近代的な慣習に支えられた医療体制、教育体制を一新し、医師の働きやすさと資質向上を目指すという、大きな建前はあった。

3  新制度前後の医療事故・訴訟を巡る空気

ところで、インターネット普及による情報化社会と、訴訟社会が進展した頃から、「医療事故」に注目が集まるようになった。

この医療事故が、単なる医療施設の責任ではなく「医師個人の責任」として、医師が刑事訴追される事態も増えてきた。

実際に、当直時に診察した患者の死亡により送検され、刑事・民事とも裁判で争うような事案も頻発するようになった。

そうなって来ると、ただでさえ医局制度やしがらみの中で苛酷に、奉仕的に働いて、最後には訴えられるのでは、医師としてやりがいも何もない。

医療界全体、医師個々人の意識に、そうした不安や不信が広がっていたところに新・臨床研修医制度がスタートし、実際としては「トドメ」を刺した格好になったとも言われている。

4 もう一つの出来事 平成18年診療報酬改定

この時期に、さらに医療界に追い打ちをかけたのが、平成18年診療報酬改定である。

平均「3.16%マイナス」という大幅改定は、その後の医療経営に直接打撃を与えた。

その中身には、さらに「看護師の新配置基準 7:1」というものが盛り込まれた。

簡単に言うと、それまで10:1といって「患者10人に1人の看護師」がいる配置体制にすると、一定の診療報酬が請求できた。

それが「患者7人に1人の看護師」だと、さらに高額な診療報酬が請求できるようになり、全国で「看護師争奪戦」がヒートアップしたのである。

医師不足、医師偏在に加えて、看護師不足、看護師偏在が生じて、見事に医療崩壊が進展してしまった。

因みにこの時期、僕は看護大学設立、公立病院再生、地方議会での講演会、医師向けヘリコプター会社の社長就任など、税理士か何屋か分からない時期を、結構全力で過ごしている。

こうした一連の医療崩壊の爪痕は、今も深く残っている。

だがその後は、ある段階以降は医療体制が安定的に推移しているように見える。

次回は、課題はあるにせよ、いま医療を支えている制度や活動について見ていきたい。

岸野康之 拝(本日重量 84.4㎏(着衣)  2021年2月21日 89.3㎏(着衣))


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